第一話 あいぽっぷの桂木くん

二時

店の電話が鳴った。従業員が全員卓に入る時には、店の電話の子機をカゴに入れておく。数枚の千円札に埋もれた電話を取り、同卓者に一礼してから通話を押す。
「もしもし、はい。来店された事はありますか?」
二四時を回れば、電話応対の際に店名を名乗る事はしなくなる。近くにいるけど場所が分からないという新規客からの電話だ。シャッターは閉まっているし、営業中には見えない。この辺りの土地勘が無いらしく、下まで迎えに行くことにした。
「誰か来るなら、ちょうどいいから俺抜けるよ」
卓が割れないよう、気を使って打ってくれていたお客さんだ。誰か来たら帰るけど、打ててもあと2、3回だと言っていたばかりだった。ありがとうと告げて下まで降りる。さっきよりは弱まったが、まだ雨は降り続いている。傘を差してあたりを見渡すと、傘を差さずに小走りでこちらに来る影があった。パーカーのフードを深く被った、ラフな格好だった。一緒にエレベーターに乗って店内へ入り、体を拭いてくださいとまずは乾いたタオルを渡す。
この新規客、出会い頭からここまで、頷きはするものの終始無言だ。雀荘にはそれぞれ色がある。フリー雀荘は知らない人と打つ事が前提だけど、大人が四人も集まってやるゲームだ。雰囲気やコミュニティなど、それは長い時間をかけて店が白いキャンパスに色を付けていくものだ。長年「iPop」で働いている僕は、この新規客が根付かないだろうとその時思った。
おしぼりと飲み物を出し、まずはルール説明。説明をしている様を見れば、その雀荘のレベルが測れると言うくらい大切な事だ。説明不足でトラブルが起きるなんて事はあってはならない。記入してもらった新規用のアンケート用紙には色々な項目があるけど、殴り書きで名前の欄に関根とだけ書かれていた。本名かどうかも分からないけど、そこに突っ込まない。僕も他所の雀荘に行く時は意味も無く偽名を使ったりする。
お客さんが待っているので、のんびりと世間話をしている暇もなく、説明を始めた。面倒だけど、上から下までしっかり口に出して説明する。ルール説明の時、店のレベルが知れるのと同時に、客のある程度のレベルも知れる。飛ばしてもいいと思うような項目でも、こちらの意向を汲んで黙って全部聞く人は慣れている。安心すると同時に、あまり打ちたくないと思う。
関根さんの聞く姿勢を見ていると、慣れている印象を受けた。最後に、基本的には朝方に卓が割れる事を説明してから席までご案内。待ちくたびれた二人はスマホでゲームを始めていた。やるよ!と声をかけて時計を見ると二時を少し回ったところだった。そろそろ終着点が見え始める。場替えから麻雀の調子は上がってきた。
「当店ご新規、関根さんです。よろしくお願いします」
関根さんは僕の対面に座った。いつもの常連達と打つのも楽しいけど、やはりたまには変化が欲しい。新規の来店はいい刺激だ。待っていた二人も同じ事を考えているような気がした。
打ち始めてみると、やはり麻雀には慣れていた。新規が来た際にまず注目するのは牌捌き。全てが分かるとは言えないが、ある程度の指標にはなる。見たところ、かなり打ち慣れている様子だ。脇の二人が新規客を試すかのように、さっきまでのスピードで打牌を繰り返す。数局様子を見たけど、スムーズに場が流れる。僕は気を使って少しテンポを遅くしていたけど、気遣いはいらないようだ。

三時

「こんなのツモったよ!倍満かな?」
隣の卓からすーさんの声が聞こえる。新規がいる卓では注意もするけど、常連とメンバーで囲んでいる卓にそんな事言うのは野暮だろう。すーさんは負けていてもニコニコ麻雀を打つので勝っていてもそこに嫌味がなく、卓内はいい雰囲気だ。
さて、こちらの卓はというと、まるで別の店にいるかのような緊迫した麻雀が続いていた。淀みなく繰り返される打牌、程良い緊張感が心地良かった。その心地良さは、僕の成績が良くなってきた事もあるかもしれない。この面子になってから五ゲームが終わったけど、未だ新規にトップは無い。
打ち慣れてはいるが、東風戦には慣れていないといった印象だった。たまにダマテンで上がるものの、決定打にはならず、勝負手が上がれないといった典型的な悪い流れにもハマっていた。親番になると焦って上がりに向かうけど、それもまた見事に空ぶった。珍しくリーチをかけて流局した際に開けた手牌は、写真を撮りたくなるような綺麗な手牌だったけど、上がれなければ意味は無い。刺さってはいるものの、特に腐るでもなく、変わらないテンポで打っていた。
通常、メンバーは自分の給料から負け分は払うので、負けて客に還元した方が喜ぶオーナーも多いが、うちでは負ければ負けただけ怒られる。新規だろうと麻雀の手を抜く事は無い。何処の誰であれ、卓に入れば正々堂々と勝負をしろというオーナーの教えがあった。この世界では理由なんて関係無く、結果が全てだ。そして新規への洗礼だと言わんばかりに、僕の手牌には良い波が押し寄せる。二万を超えていた負けは、一万円を切っていた。
またトップを取り、今日は勝ちまで見えると思っていた矢先に隣の卓からラス半が入った。次回、僕の席にすーさんを座らせて一卓に合体する事になる。その日最後の本走だと思い、気を引き締め、自分に言い聞かすつもりで声を出した。
「ラストゲーム頑張って下さい!」

四時

僕の最後のゲームは二着で終わった。今日の成績は三千六百円負けだった。打数は32ゲームだったので、ゲーム代バックでほぼトントン。最初の不調を考えると合格点ではないだろうか。
「新規のお客さんがいるから、粗相のないようにね」
先に終わって待っていたすーさんに声をかけながら席を立つ。良い席に仕上げといたよと、小声ですーさんにだけ聞こえるように言った。カゴを覗いてみると、数枚のお札の中に一万円札が入っていたので、少し戻したのだろう。同卓していた二人の従業員がかわいそうだ。
朝までは固いメンツが揃ったので、あとはのんびり片付けるだけ。
僕は持ち込みでやっていたゲームシートの記入だ。ゲームシートとは売上表のようなもの。誰が何処に座り、始まった時間、着順を記入する。従業員やお客さんのアウトを記入するのもこのシートだ。つまりこれを見て電卓を叩けば、その日の売り上げとレジ金が分かる。全員が卓に入る際は、メモ用紙に着順と時間を記入し、記入者がゲーム代を集金する。
長い時間全員が麻雀を打っていたため、レジ金が合っているかが気がかりだったけど、ピッタリ合った。二人の従業員は合わせて三万程負けていた。
「レジオッケーです」
レジ金が合った事をメンバーに共有する。小さな事だけど、現金が飛び交う雀荘の中では大切な事だ。
一通り整った後、後ろいいですかと一声かけて、関根さんの後ろに丸椅子を置いて座った。やはり打ち慣れている感じは出ていた。そのへんの東南戦ではあまり負けないのではないだろうか。しかし僕の後に座ったすーさんが最後にも噴いた。対面なので手牌や手順は分からないけど、イキイキとしたツモと打牌は伝わってくる。
すーさんが座って三回目が終わった時、関根さんが五千円の両替をした。もうこれまでに二度の万両(一万円両替)をしているので、これが尽きたらお終いだろうと思った。

五時

東ラスの親番、すーさんが僕に名指しでリーチ代走を頼んだ。赤金ドラとデカい手で、待ちは僕の得意な4−7萬だった。それを知っていて、頼んだよとニヤリと笑ってからトイレに立った。一発は無かったものの、簡単にツモってトップで終了。清算を終えたところで、関根さんからギブアップが入った。新規の客にトドメを刺したのはすーさんだった。お客さんの財布事情を把握しておく事もメンバーの大事な仕事。やはりあれは最後の両替だった。うちはお客さんにアウト(店から金を貸す事)も出すが、一見の客に出す事はまず無い。それにつられるように、脇の二人も終わる事になり、今日は卓割れだ。五時を過ぎて電車も出始める時間。
「すーさんがあんまり強いもんで卓が割れちゃったよ」
「バカ言っちゃいけねえよ、この店の負けガシラは俺だぜ」
すーさんがトイレから帰ってくる頃には、同卓していた常連二人は帰っていた。冗談だよと笑いながら卓の片付けを始める。関根さんはやっぱり無言で店を出ていった。
「あの人また来るかなぁ」
「終電でも無くなって暇してただけじゃないか?」
片付けをしながらすーさんと雑談。大暴れしていた今日のすーさんの収支を聞いた。カゴに入っている札を掴んで言う。
「五千円の負けで済んだよ」
「すーさんは来れば二万円負けるんだから、実質勝ちみたいなもんだね」
実質という言葉を付ければ何となくそんな気がしてしまうが、そんな事はない。すーさんはそうだなと言って歯がない口でニッコリ笑った。いつも卓が割れてから店を閉めるまでは、待ち席のソファでのんびりしていくのがすーさんのスタイルだ。ソファまで肩を貸し、店を閉める準備。一人は卓掃、一人はトイレ掃除、僕はレジを閉める。
ゲーム数、レジ金が合っている事を確認してから収支ノートを開く。少し勝ちは減ったけど、月間で見れば今のところ悪くない成績だ。ノートを書き終えると、ちょうど二人も掃除が終わったようだ。ここですーさんのためにタクシーを呼ぶ。
「さあ、すーさん帰るよ!」
また肩を貸してエレベーターに乗り、下まで降りる。外に出るとちょうど良いタイミングでタクシーが来た。また明日ねとすーさんを乗せ、従業員達は駅へ向かった。

もう朝日が昇っていて、地面は濡れている。自転車置き場に向かいながら、そういえば雨が降っていたなと思い出した。同時にいつものコンビニのおばちゃんの顔も浮かんだ。てるてる坊主を作ってくれたんだろう、また明日お礼を言っておこう。
今日も負けてしまったけど、この朝日のおかげで僕も実質勝ちだなと一人でニヤリとした。何故負けたのかを考えながら、いつもと変わらない日常に満足して自転車を漕ぎ出した。

マンション麻雀

先日Kindleにて出版した、主人公は同一人物の「マンション麻雀」。こちらも是非。