第一話 あいぽっぷの桂木くん

二一時

また卓に座った。まだまだ前半戦だけど、スタートまでの手応えは見失ってしまった未だいいとこ無しの麻雀である。
買い出しから帰ってきた後、フリーは二卓に伸び、セットが一卓入った。飲んだ帰りのサラリーマン達が卓を囲み、楽しそうな雰囲気が店を包む。フリーでは、黙々と打ちたいので店内は静まり返っている方がいいと言う人もいるけど、今日のメンツにそんな人はいなかった。珍しくすーさんが平日にいるので、常連達で盛り上がっていた。
スタートの時に調子の良かったすーさんの成績は早くも急下降。グラフにすれば尖った山が描かれるだろう。
「あんまり人の金をばらまかないでよ!」
俺が取り返すんだからと、またラスを引いたすーさんに別の卓から叫びながら、麻雀は苦戦していた。
和気あいあいとやっているすーさんの卓は、どうしても回りが遅い。もう一人ののんびりやりたい年配のお客さんとメンバー二人にその卓を任せ、比較的打つのが早いお客さん三人の中に僕が入る卓を組んだ。1ゲーム平均十分で回る優秀な卓が出来たけど、なんせ面子が辛い。
それだけのスピードで打てる常連達だ。それなりに場数も踏んでいて腕が立つし、手の内も知り尽くした面子だった。東風戦だという事も合い重なり、ツキが左右する局面が増えてくる。
そしてどう見ても今の僕にツキは無かった。今日一日の事を考えると、ここは耐えなければいけないところだった。

二十三時

何をやったってダメな時はある。押せば刺さり、引けばツモられる。アガリは少なく、カゴのお金はどんどん減っていく。いつ抜け出せるか分からない底なし沼。希望の光が見えたかと思えば、手を伸ばした瞬間にふっと消えてしまう。そんな暗闇にいるような時間。
信じなければいけない希望の光すら疑い始めたら、金の無駄なのでそれ以上麻雀を打たない方がいい。そんな心理状況で打つ麻雀の結果なんてたかが知れてるし、そうなったら負けるゲームだ。メンバーは打数が多いため、流れが悪い時には交代してもらうのが一番。いくらでもチャンスはあるのだから、わざわざ流れに逆らう必要は無い。ただ、本当に流れが悪い時には交代すら出来ない状況になる。
換気のため開けているベランダへの裏口から、ビルを叩く雨の音が店内まで聞こえる。雨は次第に強くなり、客足を遠ざけて座っている者を留めた。卓を伸ばしてからというもの来店は無く、かといってラス半も入らず、メンバーが三人座っている状態が続いていた。
あれからトップを一回取ったけど、苦しい時間が続いていた。じりじりと減っていくカゴのお金。すでに一日の給料以上は溶けている。煙草が吸いたいなと思いながら、頭の中にはノートの数字が浮かんでいた。
僕は毎日、打数、収支、着順を店のノートに書き込む。平均着順、トップ率、ラス率を毎日計算し、最後にその月の給料を計算する。日当は一万三千円、ゲーム代バックが百円。麻雀を打つ時には客と同じようにゲーム代を払うけど、それは百円だけ返って来る。月に五百〜七百回打つので、月末には数万円程貯まっている。そして店長手当てが五万円。二十五日の出勤だとして、約四十万円だ。
そこから麻雀の勝敗でその月の給料が確定する。その金額が僕のモチベーションだ。一日単位の収支ではヘコんでいられず、ここで嘆くようなら向いていないから辞めた方がいい。今月の成績は二万六千四百円の勝ち。でもこのペースで行けば今日で貯金は無くなってしまう。
苦手な後半戦へ差し掛かる中、それだけは避けたいと気を入れ直した。ラストの際に席を立ち、みんなにおしぼりを持って回った。残ったおしぼりで顔を拭き、椅子を回してから席に座った。

二十四時

日付が変わる少し前、精算のタイミングで少し席を立たせてもらい、分厚いカーテンとシャッターを閉めた。雀荘という商売は、最近改正された風営法4号の許可の下に営業している。これには営業時間の規制があるけど、どこの雀荘もそんな事は守らない。なので、どこも分厚いカーテンを使用し、外に光が漏れないようにする。あまりに派手な事や、タレコミでも無い限り、警察の手入れも入らない。警察が来たところで、打っている客がしょっぴかれるなんて事はまず無く、注意で終わる。警察の目的が深夜営業であればだが。
iPopでは本走中(麻雀中)のタバコには規制があった。人の出入りが多い二十四時までは卓上で吸えないが、日付が変われば吸ってもよい。時計を確認し、同卓者に煙草を失礼しますと一礼する。
「煙いからやだよ」
咥え煙草で対面の常連が言った。僕は煙草に火を付けてこう言った。
「これから煙たくなるのは僕の麻雀だよ。ねえ、場替えしない?」
僕と同じくツイていなかった下家の常連に問いかけた。ここ一時間くらいはムスッとして会話にも参加してこない。煙草を手に取り、シカトをされたかと思ったけど、火を点けてから東南西北を集め始めた。
「よし、心機一転でみんなに飲み物持って来るよ。みなさん何飲みますかー」
従業員がずっと入っていたため立ち番がおらず、お客さんのサイドテーブルには空のコップとパンパンの灰皿が目立っていた。手伝おうとする二人の従業員には卓の進行を優先してもらい、一人で二卓分のオーダーを取り、灰皿を交換する。セットにはコップと麦茶のピッチャーを持って行ってあるので手がかからない。
全員分の飲み物を持って行ってから卓に戻る。作ってきた自分用の飲み物は、暖かい牛乳に砂糖をたっぷり入れたもの。この時間には最高だ。そして来るときにコンビニで買ったチョコを口に放り込んだ。長時間頭を使っていると、甘い物を体が欲するようになる。
もう三人は牌を引き、席が決まっていた。残っている東を盲牌して、好きな漫画のセリフを言った。
「俺は東を引いて負けた事がないんだ」
流れを変えるために出来る事は全てやったと思う。