マンション麻雀

 

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マンション麻雀
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ヤクザの三次団体が運営するマンション麻雀。 マンションの一室で繰り広げられる、フリーでもセットでもない麻雀。 そこに、普段はとある雀荘で店長をやっている桂木が、裏カジノの店長の代打ちで行くことになった。相手は医者や風俗のキャッチ、点数計算も分からないヤクザ。 勝ちたい 好奇心やプレッシャー、恐怖も全てひっくるめて。 これほどまでそう思った麻雀は後にも先にもここだけだ。

 

第一章 マンション麻雀の誘い

二十三歳になる誕生日の前。水山さんから電話があった。

——マンション麻雀で代打ちやってみない?

季節は秋から冬へ移り変わる最中。僕が昔からお世話になっている雀荘「iPop」で、メンバーをしている時だった。条件を聞き、100%の好奇心で引き受ける事にした。人の金で高レートを味わえる。怖いものなんて何も無かった時のお話。

水山さんからの電話

僕の勤務時間は十七時から、日が昇り、卓割れまで。大体帰るのは朝の通勤ラッシュの時間。仕事が終わり、カーテンを閉め切った空間から、外に出た時の眩しさ。太陽が苦手な吸血鬼の気持ちも理解できる。松屋で朝飯(?)を食べてから帰るのが日課。
今月は麻雀の調子が良い。月も後半だが純黒(ゲーム代込みで勝っている事)を保ち、その日も貯金を増やした。勝ちに酔いしれながら、いつものキムカル丼を食べていると、水山さんから電話が入る。

——もしもし。どんな感じですか?

非常に低いトーンだが、これはいつもの挨拶。

——そんな感じです。

と、返すと。

——わかりました。

ここまでで一セットだ。
久しぶりの水山さんからの電話。今何をしているのかを聞かれ、「iPop」でメンバーをやっていると答える。何やっているのかを聞くと、今は裏カジノでディーラーをやっていると言われる。

——お久しぶりですね、どうしました?

電話の主題を聞くと、冒頭の質問をされた。

——マンション麻雀で代打ちやってみない?

事情はこうだ。
そこのマンション麻雀は、いわゆるケツ持ちと呼ばれる極道の三次団体が運営している。今水山さんが働いている裏カジノの店長が、営業として人数が埋まらない時、そこに行かなければいけない。麻雀に関してはフリーも打った事ない素人なので、負けが込んでいるらしい。ただ席を一つ埋めればいいだけなので、誰が打ってもいい。そこで代打ちとして僕に声がかかった。

代打ちの条件は、負けたら全額持ってもらい、勝ちの20%が報酬。負けても交通費は二千円出る。依頼人で裏カジノ店長「川嶋さん」の負け額は百万円を超えそうな所。勝たなくても負けが少なくなればいい。藁にもすがる思いだったのだろう。
レートは三百円の3-6の東風戦。赤五が二枚ずつ、計六枚で面前祝儀千円。マンション麻雀の割にあまり高くないと思うかもしれないが、ここに3-6のビンタが加わる。25000点を基準として、もらいと払いの金額が決まる。上回っていた場合、自分より着順が上の人に三千円払い、下回っていた場合は六千円払う。逆もまた然り。三人が25000点を下回るマルエーのトップをとると、六千円オール、一万八千円入ってくる。これが意外とでかい。しかしこの時はやった事の無い、ビンタの重要性には気付いていなかった。

——行きます

返事は早かった。次の場は週末の日曜日、十九時開帳らしい。電話を受けてからは、その日に向けて自分を高めていた。

雀荘「iPop」

僕の事を少し話しておこう。
雀荘「iPop」に初めて来たのは十七歳の時。震えながらフリーに挑戦するも惨敗。当時通信制の高校生で暇を持て余していた僕は、その後すぐに「強くなりたい」の一心で働き始めた。大学に入ってからはうまく両立出来ず、大学を辞め、麻雀一本で働いてきた。一度辞めた事もあったが、この店と出会って五年経った今は、店長を勤めている。

水山さんとの出会いはもちろん雀荘。出会った当時で三十代後半だと言っていたが、いったい何歳なのかは知らない。ただ、麻雀はメチャクチャ強い。何年か前に数人で連んでいた時は、色々な痺れる麻雀を教えてもらった。これは話すと長くなるので割愛するが、それも解散。その後は低レートの雀荘で麻雀をしてからラーメンを食べに行く。そんな感じでたまに遊ぶ程度だった。

水山さんと会うのも二年ぶりくらいか。

待ち合わせ

あっさりと当日を迎えた。ちょっと早めの十八時に水山さんと待ち合わせ。場所は日本有数の繁華街だ。待ち合わせ場所の喫煙所で一服していると、スーツ姿の水山さんが現れた。知らない人だとしてもカジノの黒服だと分かるような、サラリーマンにはとても見えない風貌。

「お久しぶりです」
マンション麻雀は初めてではなかったから、その時はあまり緊張していなかった。相変わらず早足な水山さんに着いて行くこと十分。歩いている間、特に会話は無い。人混みを掻き分け、人が少なくなってきた場所にオートロックの高級マンションがあった。見上げると、一室だけベランダに監視カメラがあり、路上を向いていたので、その部屋が何階にあるのかはすぐに分かった。

水山さんが部屋番号を押すと、無言のまま応答中になる。

「水山です」
自動ドアが開いた。エレベーターに乗り、目的の階に着くと部屋の前に風体の悪い男が立っていた。

「いらっしゃいませ、どうぞ」

マンション麻雀は初めてではないとはいえ、こんなゴリゴリの極道がいる場は経験が無い。玄関は普通の住居だったが、ドアを開けて部屋に入ると雰囲気が一変した。奥からでっかいテレビ。真ん中に黒のアルティマ。それを囲むように、L字のでかいソファがある。キッチンは対面式になっていて、本来であれば家族と顔を合わせながら料理が出来るであろう充実したスペースがあり、そこに強面のスキンヘッドが一人。壁には「任侠」と書いてある額縁が飾ってあって、まるで漫画みたいだ。少し離れたところにソファがまた一つ。雀荘で言えば待ち席みたいな所だろうか。一カートン分の吸い殻が入りそうな大きいガラスの灰皿が置いてある。

どうやらお店(?)の人間は三人。入り口で迎えてくれた男、キッチンで立っている男、そして仮眠所みたいな部屋から、眠そうな顔で出てきた男。
入り口で迎えてくれた男が、その三人の中で一番偉いらしい。

「ルール説明をさせて頂きます、松田です。よろしくお願いします」

松田さんがルール説明をしてくれた。
事前にある程度聞いてはいたが、聞いてなかったルールといえば、リーチ後オールマイティの※白ポッチが一枚、オープンリーチ有り、四回戦ごとの場変えだった。

初めてなのでしっかり聞いた。普段であれば雀荘のメンバーがするルール説明を、暖房が効いているのに長袖長ズボンの強面な男にされた事が面白かった。
ルール説明が終わったのが十八時半頃。まだ開帳まで三十分程あるが、水山さんは仕事があるからと言って立ち去った。

「頑張れよ」と、一言残して。

強面の男三人に囲まれたが、こちらの事情は分かっているので、みんな対応は優しかった。

「あいつすげー負けてんだ、取り返してやってよ」

スキンヘッドが試すような顔をして、僕にこう言う。水山さんは僕の事をどう紹介したのか気になってきた。

「精一杯頑張ります」作った笑顔で応える。

程なくして面子が集まり始めた。会話の中から聞こえた対局者の名前は、社長、江口さん、ぴょん。あだ名か本名かもわからない。何故なら自分も偽名だから。本名を名乗らない事は、水山さんに一つだけ約束してもらった。身分証や、本名の分かる物は全て家に置いてきたし、現金は一万円だけ入れておいた。iPhoneの指紋認証もオフにした。ここでは「桂木」として自己紹介をして、麻雀を打つ。

揃ったところで場決めをし、いざ開帳。

※白ポッチ
白の中で一枚、ガラスなどを埋め込んである特殊牌。リーチ後にツモるとオールマイティ扱いになる特殊ルール。

開帳

このマンションで、初めての対局。人の金で打つ麻雀はやはり緊張感が違う。フリーで打つ時もそうだが、師の教えで「負ける気でやる奴は負ける」という言葉があり、常に勝つ為に打つ事を心掛けていた。相手は三人もいるのだから、負ける気でやって勝てるはずがないという当たり前の理論だ。もちろん今日も負ける気は無い。

打ってみると、ここは先ヅモが有りだった。経験の無い先ヅモ有りは全然慣れない。下家からポンをすると、二人がツモ牌を戻す感じだ。でも、先ヅモをすれば鳴きが無いと思うと少しやりやすかった。
先ヅモに対応しつつ、まずは三人の特徴から探っていた。朝まで打つのだし、もしあるならば次回も同じ面子かもしれない。元々はみんなバカラのお客。その中でも麻雀好きな人を集めて卓は組まれていた。

社長はほとんど素人。フリーを打った事もないだろう。社長の容姿は「蛭子能収」に似ている。よく左のポケットからハンカチを出して汗を拭いている。
ぴょんはフリーの経験が有りそうだけど、あまり慣れていなさそう。四十代前半だろうか。茶髪に黒い髪の毛が伸びてきている。自分が言うのもアレだけど、この場にそぐわない気の弱そうな人だった。
江口さんだけは少し格が上だった。
東風戦も打ち慣れている。仕掛けの早さやアガった時の点数やチップの申告などを見ると、おそらく新宿あたりのピン東風などで暇を潰しているのだろう。

「みんな美味しいメンツだよ」
最初の電話で水山さんに言われていたが、みんなではないじゃないかと心の中で思っていた。やり辛いなと思いながらも観察していると、あっという間に二ラスを喰った。

ここの麻雀はチップ清算。僕は代走なので、始めに十万円分のチップが入ったカゴを渡されてスタート。お客さんの場合、十万円以上の換金からスタートする。百円単位は四捨五入なので、10$チップ、50$チップ、100$チップの三種類を使う。一時間もしないうちに、カゴのチップは半分以上減っていた。4432の着順で最初の一周は終わった。カゴには一万円残っている程度。この時点で雰囲気にのまれていたのかもしれない。
続いて二周目。場替えになり、東南西北を最終回のラスから順に引いていく。一周目は社長がバカヅキだった。

社長がリーチ宣言の時に、「はい、オープン!」と江口さんが煽ると、「え〜」と言いながら社長はオープンリーチに切り替える。オープンさせておいて一発でツモられたのが二回あった。
社長が座っていた南の席に座りたい。東南西北がどこにあるかを覚えて、目で追っていると、幸運にも南が残った。この瞬間すごく安心した。二周目の着順は2121。初トップも取り、おかわりをせずにプラマイゼロくらいまでは戻った。少し気持ちも落ち着いたが、そこから苦しい時間が始まった。

手作りハンバーグ

二周目が終わり、三周目の場決めをして席を移動する。社長はトイレに行った。あのおっさん、この短時間でもう三回目だぞ。
二十一時を少し過ぎた頃、カウンターキッチンの中からスキンヘッドの男が、部屋にいる全員が聞こえる声でこう言った。
「本日はハンバーグです、いかがでしょうか」
何回か前の半荘からすごく良い匂いがしていた。起きてから何も食べていない。腹はペコペコ。しかもあんな強面のスキンヘッドでガッシリした体。それでいて腹がポッコリ出ている人が作ったハンバーグは美味しいに決まっている。
「大盛りで下さい!」

ご飯休憩になった。iPhoneを確認すると、水山さんからLINEが入っていた。
——どんな感じですか?
自分でメモを付けていた着順と、今のチップの枚数を送信する。
——了解です
その場にいなくてもプレッシャーを与えてくる厳しい仕打ちは、久しぶりだけど慣れっこだ。しかしこのハンバーグ、すごく美味しい。料理人でもやっていたのだろうか。
「ニイちゃん、美味いか?」
カウンターキッチンの中からスキンヘッドが言う。
「めちゃくちゃ美味いです!」
すると怖い顔のスキンヘッドがにっこり笑った。あの人も同じ人間なんだと当たり前の事を思った。

「ごちそうさまでした」

一番に食べ終わり、待ち席のソファでコーヒーを飲みながら一服する。するとマンションのチャイムが鳴り、一人来客があった。
その人は水山さんが働くカジノの店長、川嶋さんだった。三十代前半と思っていたよりも若く、麻雀の場にはそぐわない清潔感のある洒落た格好、そして優しそうな顔立ちにびっくりした。
「桂木です」と名乗り、挨拶をする。この時点で一緒に打っていた三人は、僕が川嶋さんの代打ちである事を理解していた。とりあえず麻雀を打っていたが、誰の金かも分からず打っていた。本人を見ていきなり実感が沸いた。
「調子はどうですか?」

今までの着順とチップの枚数を伝えると、チラッと僕のカゴのチップを見てから「負けても構わないのでリラックスして打ってください」と笑顔で言った。
いくら本人に言われようと、恥ずかしい麻雀を打つ事は出来ないし、こちらも報酬がかかっているのだから勝てるだけ勝ちたい。でも後で振り返ると、ここで川嶋さんが来た事はマイナスに働く。優しそうには見えるが、さっきカゴのチップを見た時の鋭い眼光は裏社会のそれだった。

三周目が始まった。僕の席はさっき調子が良かった南ではなく、ちょうどL字のソファから後ろ見出来る西の場所になり、川嶋さんが僕の後ろに座った。一体どんな目をして見ているのだろうか。

苦しい時間

ここから僕の苦しい時間が続く。三、四周目とトップがとれず、3232・4224という着順。二着も原点を割れていると払いになるので、この八回で十万円は溶けておかわりをした。
押す局面も、川嶋さんが後ろで見ていると思うと押せない。みんな先ヅモをするので、ポン、チーの声が出ない事もあった。本来であれば絶対にかけるリーチをかけず、一発目に白ポッチをツモった時は背筋が凍った。
手牌を短くしたくない故に仕掛けは減り、これみよがしに仕掛けてくる江口さんについていけなくなっていた。放銃を避けるあまり、アガリは減り、ツモられてチップと点棒は減る。結果的に原点を割りビンタで負ける。
そんな悪循環にハマっていた時、川嶋さんが電話で席を立った。すぐに戻ってくると、水山さんが来ると告げられる。どうやらお店は暇らしく、少し様子を見に来るらしい。iPhoneを見ると、水山さんからLINEが三件入っていた。どれも麻雀の様子を伺う内容だったが、僕はそれどころではなかった。
痺れを切らして川嶋さんに電話をし、様子を見に来る事にしたのだろう。

——ヤバい、水山さんが来る

麻雀に関して今まで何度怒られたか。今の麻雀は水山さんに見せられる麻雀ではない。来るまでに少しでもチップを増やしておきたいと思ったが、それは更に裏目が出る事になった。代打ちをしている川嶋さんよりも、水山さんが来る方が怖かった。というより、この空間にいる誰よりも怖かった。
チャイムが鳴り、少し経ってから水山さんが入って来た。川嶋さんが電話を終えてから二半荘目。裏カジノの客は顔見知りなので挨拶をし、僕のカゴをチェックする。そして僕の手牌が見える位置のソファに座った。

黙っていても憤慨しているのが分かった。初めての場所、ルールや先ヅモなどの言い訳にならない。ここでは、結果が出ていないと言葉には何の意味も無い。そういう世界で生きてきた人だ。
ここから先は今まで以上に麻雀がひどかった。何を言われるか分からない。今までに何度もあったが、何度も心を折られてきた。

——相変わらず字牌の切り順が雑
——何でそこでリーチをかけた
——それをアガっちゃうからお前はダメなんだ

もしかしてこの人は敵なのだろうか。一枚切るたびにダメ出しをして、周りの人間などお構い無しに僕を責め立てる。ヤクザにかこまれ、客に煽られ、負けているところを依頼人が後ろで見てて、それでも必死に打ってきたメンタルが、ここで砕けた。ギリギリを保っていたところに、トドメを刺したのは水山さんだった。

二半荘終わり、場変えのタイミング、五周(二十回)打ったところで水山さんに交代を告げられた。最後は2344。負けは二十万を超えた。
「若者に厳しいなぁ〜」
江口さんが煽る。この時に初めて雰囲気に飲まれていた事を実感する。

反省

「力不足でした、すいません」
席を立ち、まずは川嶋さんに謝る。
「まだ終わってないよ」
にっこりそう言った。

場変えになったが、座る場所は僕と同じ席。さっきまで水山さんが座っていた、後ろから手牌が見える場所にぐったり腰掛けた。
「ボケッと座ってんじゃねーよ!!」
水山さんが麻雀をしながら僕に怒鳴る。ヤクザ顔負けである。

そこで僕もハッとした。川嶋さんの言う通りまだ終わってない。今日は出番がないかもしれないが、やれる事はやっておこう。まずはトイレに行って顔を洗った。それから麻雀卓から離れた待ち席に座り、今日の事を思い返してみる。何がいけなかったのか。おしぼりで顔は拭いた。飲み物も替えた。代走も頼んだし、椅子も回した。

——使っていたライターがいけないんだ
ふとそう思った。男ばかりいるこの空間にも息が詰まりそうだった。

「外に出てもいいですか?」
松田さんに声をかけた。
「どうした、帰るのか?」
この意気地無しがと続けたそうな顔をしている松田さんに、ポケットからライターを取り出してこう言った。
「このライター、流れ悪いので新しいライターを買って戻ってきます」
松田さんは一瞬ポカーンとしてからニヤリと笑い、帰ってくる時はまたチャイムを鳴らせと言った。

数時間ぶりに外に出る。二日くらい経っているような感覚だ。外は冷え込んでいた。深く深呼吸をしてからコンビニを探す。あえてコンビニの場所は聞かないで出た。少し離れた場所まで行こうと思った。駅の方に五分程歩いてコンビニに入り、ライターを探す。黒字にあやかり、真っ黒のライターを買った。あとレッドブル。
「これ、捨てて下さい」
今まで持っていたライターを店員さんに渡す。ただゴミ箱に入れるだけではダメだと思った。しっかり捨ててもらおう。

外に出てレッドブルを開け、新しく買ったライターで煙草に火をつける。だいぶ落ち着いた。改めてさっきまでの麻雀を振り返る。

例えば26000点の三着の場合。
ラスからは六千円入り、一・二着へは三千円ずつ払う。ということは原点さえ保てば三着でもビンタはチャラ。ウマの分、三千円の払いになるが、チップみたいなものだ。原点さえ守っていれば三着でもいい。

これが24900点の三着の場合。
ラスからは三千円しか入らず、一・二着へは六千円ずつ、計一万二千円払う。その差は九千円。

卓上で気付いた時には手遅れの状態だったけど、やはりこの麻雀は、順位よりもチップよりもビンタが大事だ。そこに焦点を合わせると、すぐにいくつか反省点が思い付いた。
着順を上げるためのリーチ、原点割れている人のケア、赤を四枚持っているからリーチに対して押すという基準。全部間違っていた。ここの麻雀は25000点を切らないようにするゲーム。まずは25000点を超え、それからは周りの首を切りにいく。闘う相手は原点だ。

さて、反省はこれまで。レッドブルを飲み干し、タバコの火を消して歩き出す。来た道を戻り、マンションのエントランスで、さっきまでいた部屋のチャイムを鳴らす。
「桂木です」
無言のまま、自動ドアが開いた。

水山さんの麻雀

戻ると川嶋さんはいなくなっていた。裏カジノに戻ったらしい。
「逃げちゃったのかと思ったよ」
江口さんに煽られるがシカトする。
「もう大丈夫です」
水山さんの横に行き、それだけ告げた。水山さんは何も喋らなかった。

麻雀は次に場変えのタイミングだった。カゴのチップを見ると、減ってはいないが増えてもいない様だった。さっきまで自分が座っていた席。僕がそのまま打っていたら、もう一回おかわりしていてもおかしくない。

松田さんにコーヒーを貰い、ソファに腰掛ける。じっくり麻雀を観察する事にした。
水山さんは見るからに原点を意識した打牌をしていた。僕が思うよりももっと深く考えているのだろう。
場変え前の最後は、原点を保った二着で終わった。
場変えになり、僕が座っていた場所から見える席には、江口さんとぴょんが座った。
良い席順だと思った。そのまま二人の麻雀を観察する。

「師匠の麻雀見なくてもいいのか?」
江口さんはちょこちょこ絡んでくる。
「もう見飽きましたから」
そもそも僕の師匠は水山さんじゃない。

七周目。みんな疲れが見え始める。二十四回というと、慣れていても結構疲れる。時間は深夜二時。打ちたがりなので、基本的に仕事中の本走は三十回を超える。そんな僕はまだまだ打てる。
江口さんのカゴを覗くと、明らかに浮いていた。パッと見て三十万円分くらいのチップが入っている。後ろで見ていて思ったが、想像以上に打ち慣れている。口の悪さと強打からは結びつかないような繊細な麻雀。結果的に勝ち越すのは納得出来た。そしてぴょんは想像以上にヘタクソだった。

ここから水山さんが噴きあがった。
まずは八万点のマルエートップを取り、流れに乗ると、それから二着を二回取った。両方とも首は切れていない。
「バカラも麻雀もポンコツかよ」
ポンコツとは、イカサマ等の不正行為の事。つまりイカサマでもやってるんじゃねーか?と言いたくなるくらい強いという事だ。勝ちを減らしてきた江口さんが吠える。

そして場変え前の最終戦、水山さんは47000点トップ目の親で東ラスを迎える。二着は30500点持ちの江口さん。八巡目、綺麗で高い打牌の音が響き、水山さんがリーチをかける。江口さんに満貫直でトップの条件が出来たが、ヘタに突っ張ると原点を割る可能性がある。しかしかなり形のいいイーシャンテン。赤も三枚持っている。どうするのか見ていると、一発目で無筋をツモ切り。ヤル気まんまんだ。

するとリーチ宣言の時より高い音が。水山さんの一発ツモ。6000オールで江口さんの首を切り、マルエーのトップをとった。疲れが出始めているのか、江口さんの口からそれまでの汚い言葉は出なかった。
七周目が終わり、場変えになる。水山さんが二周でほとんどの負け分を取り返してくれた。おかわりした十万円をアウト(チップを現金に換える事)し、ディーラーの手つきでチップを数える。一万円負けまで戻していた。
場変えの風牌をラスから引いていく。水山さんはトップだったので、引くのは最後。西に座っていた。三人が引いて、南、東、北と順番に席が決まった。流れの良かった席にそのまま座る事になった。
「もうお前でも大丈夫だから座れ」
最後に残った西はめくらないまま僕に言った。水山さんから挽回のチャンスをもらえた事が嬉しかった。この時はもう負ける気はしてなかった。

念のため、残っていた西を勢いよく引きヅモしておいた。

爪痕

八周目、時間は午前四時過ぎ。
「よろしくお願いします」
みんな無視。ルーレットで起家スタートになった。水山さんは僕の後ろに丸椅子を持ってきて座る。もうさっきまでの俺じゃない。
配牌を開けてみると、軽い。赤三、タンピン形のリャンシャンテン。この時思っていたのは、何故か水山さんすげーって事。

五順目で頭の無いテンパイ。萬子が23456678の形。赤五萬を一枚も持っていないので、六萬を切って二—五—八萬の延べタンでリーチ。もう何を言われるかとビクビクしながら打つのは止めた。
力を込めた一発目、ツモ牌は八萬。裏も乗り、8000オール五枚からスタートした。水山さんを気にせず打っていると、気持ちもツモも軽くなった。カゴのチップの枚数を気にするのもやめた。

続く一本番で、6000オールをツモり、六万点のマルエーで終了。
「人のお金なんだから本気出さないでよ〜」
社長がぼやく。
「人のお金だから本気なんです」
と、真面目に返してしまった。そんなやりとりをしながら、八周目は水山さんからもらった流れで圧勝した。着順は1221、二着は全部首はついていたので、プラス街道へ走っていた。

朝五時頃、江口さんの電話が鳴る。どうやら仕事の連絡。行かなくてはいけないらしい。
ということで、九周目が最後になった。場替えをすると、ズブズブだった社長の席に座る事になる。嫌な予感もしたが、最後の一周。チップの枚数は把握してないけど、よほどの事がない限りはプラスで終われると思っていた。

始まってみると、案の定さっきのような良い流れはなかった。僕が座っていた席には江口さんが座り、その席を使いこなし、お座り二連勝。この時間でもしっかり打っているのがよく分かる。二勝目は字牌の絞り方や、リーチのタイミングなど、すれすれの糸の穴を抜けた見事なトップだった。やっぱりこの人は強い。
三回目は社長が久しぶりにトップをとった。僕はと言えば、三着四着三着と悪い流れ。情けないけど、早く終わって欲しいと思っていた。

遂に迎えた最後の半荘。北家スタート。気付けば水山さんはいなくなっていた。東発に満貫をツモり、後はこの首を守り切るだけ。
江口さんがそこに立ちはだかる。三局の親番で6000オールをツモり、次局に2000は2500オールをツモり、ダントツのトップ目に。僕の首も切れた。社長とぴょんの横移動で東ラスを迎えた。
僕は24000点持ち二着。江口さんが48500点のトップ。配牌で赤々ドラドラ。跳満ツモでトップまで行くが、聴牌料で原点を超えて二着終了出来る。
ツモは一向に進まず、じりじりしたまま十巡目、社長からリーチが入る。
「オープン!」
僕が煽ると、オープンリーチになった。一枚切れ、僕が対子のペン七ソウ。リーチ棒が出たので、6000オールでトップ。
「最後だからね〜」
とニヤニヤしている顔が気持ち悪い。
 その二巡後、僕の手が追いつく。タンピン赤々ドラドラまで仕上がった。当初の予定通り、このままダマでやり過ごせば聴牌料で原点を超え、二着やめで終われる。待ちは得意の四—七萬。社長の捨て牌に、一枚ずつ眩しく光っている。ただ、ここでダマにしたくはなかった。
 この局の収支で言えば、ダマの一手だが、これは最終戦。ここでもし勝ったとしても、次また同じメンツで闘うことになったら、確実にナメられるだろう。

何か爪痕を残したかった。

「リーチ」
静かに牌を曲げる。ここで負けるようなら次は無い。自分の力量を試したかった。二巡後、力を込めてツモった牌は白ポッチだった。今日一日の緊張や悔しさをすべて取っ払ってくれた。8000オールのトップで終了。リーチをかけていなければ取れなかった、僥倖のトップだった。

——それをアガっちゃうからお前はダメなんだ
さっき言われた水山さんの言葉が頭によぎったけど、僕はこれをアガって勝ってきたんだ。

早足

最終戦が終わり、江口さんと社長はそそくさと換金をして帰った。
自分のカゴを確認すると、四万四千円の勝ちだ。
松田さんが水山さんに終わった事と収支の連絡を入れると、今こちらに向かっているらしい。ソファに腰掛け、水山さんを待つ。時間はもうすぐ朝の七時。
慣れないルールと場所で集中して打っていたので、すごく疲れた。疲労感と達成感を、全部ソファが包み込んでくれた。今もうここで眠ってしまいたい。そう思っているとチャイムが鳴る。

「お疲れ様」
水山さんが来た。

川嶋さんは来なかったけど、結果を聞いてえらく喜んでいたと聞いた。今まで何人かに代打ちを頼んだけど、勝った人はいなかったらしい。もちろん自分で打って勝った事も無い。チップを換金し、報酬として20%の八千八百円受け取った。
このお金は僕がもらってもいいんだろうか。水山さんに聞いてみると、当たり前だと言われた。ラーメンご馳走させて下さいとお願いすると、快諾してくれた。

「兄ちゃんまたな」
松田さんが旧友のように、僕に声をかけた。でも今日出会った人間は、誰も信用していない。
「もしまたの機会があればお願いします」
この手の人間との約束は危険なので、模範解答で応える。
玄関の前で松田さんが深く頭を下げ、
「ありがとうございました」
と大きな声で言った。やっぱりこの人怖い。
外は寒かったけど、朝日は眩しかった。太陽が苦手な吸血鬼の気持ちも理解できる。
僕の好きなラーメン屋に入り、大盛りとチャーハンを注文。説教会が始まりそうな雰囲気だったけど、やっぱり麻雀の話は出なかった。

——お前には俺が教えても無駄だ
このセリフは過去に何度も言われてきた。僕の師は水山さんではないので、余計な口出しはしないという事だ。なので今回も麻雀のアドバイスは無し。ラーメンを食いながら、今日打っていたメンツについて話をしてくれた。何の仕事をしていて、カジノではこういう賭け方をして、麻雀はこう打つ。なぜ先に教えてくれないのか。

「よかったな」
ラーメン屋を出てから、一言だけ僕に言った。麻雀を打っている時の罵声も、一度頭を冷やさせるためだったのだろう。前に水山さんと連んでいた時から三年経つ。その間に麻雀も強くなったつもりだった。でも今日の僕は水山さんの手のひらで踊らされていただけだった。
「また呼ばれると思うからしっかり調整しとけよ」
そう言って早足で繁華街へ消えて行った。

初めて行った今回のマンション麻雀は勝つ事が出来た。勝たされたと言ってもいい。でも、まだまだ強くなれると思うと楽しくなってきた。壁を乗り越えると、また新しい壁が見える。はたまたその壁は、はるか昔に乗り越えた壁だったりする。ほんとに麻雀は面白い。
さて、寝て起きたらまた麻雀だ。白ポッチの余韻に浸りながら、「桂木」という名前を一度そこの街に置き、少し早足で電車に乗った。