麻雀はおっぱい

“神聖なる博打場に女が入ってくるんじゃない”

18歳の頃働いていた雀荘での事、酔っ払ったセットが1組。それまで、下のバーで一緒に飲んでいた女性が様子を見に来た時に、その中の1人が大声でそう言った。

当時は他の雀荘の事なんて知らず、女性が全く来ない店だったのもあり、色々な意味で井の中の蛙だった自分は、”そうなんだ”と変に納得し、そういうものだと思っていた。

今思い返してみると、あの言葉はただ熱くなって言った八つ当たりのように思える。

いざ色々な雀荘に行ってみると、女流プロという地位が確立していて、あちらこちらの雀荘で働いている。女性のお客さんがよく来店する店もある。

大海を知るまでは、熱くなって叫んだお客さんのように、”女性の雀士”に偏見を持っていた。というより、女性が雀荘にいることに違和感があった。

そして巷の雀荘でふと出会った、”女性の雀士”にボコボコに負けたある日、僕はふてくされていた。若かったのだろうか。今まで打った事のなかった女性の雀士に負けた。なぜ俺が。

帰り道、悔しさを噛み締めながら歩いていると、ふと脳裏をよぎった。

女性に負けたのではなく、おっぱいに負けたと考えた時、ここまで悔しいのだろうか?
対面にもしおっぱいがあると考えた時、果たしてふてくされていただろうか?
間違えて下家のおっぱいをツモってしまったら、誤ツモになるのだろうか?
そもそもおっぱいと麻雀をしたらもっと負けていたのではないだろうか?

そう考え始めると、悔しさはどこかへ。
おっぱいと麻雀には切り離せない何かがある。
そう直感的に確信したので、ロジカルに解説していこうと思う。





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おっぱいと麻雀は似ている

みなさんお気付きだろうか。
実はとても良く似ている。
無意識に見逃しているところを、掘り下げていこうと思う。
自分自身、考えてみることによって新しい発見もあった。

言葉の響き

おっぱい、麻雀ぱい

語尾の2文字、「ぱい」という文字が一緒なだけで、驚くほどの共通点がある。

そして麻雀では「ぱい」という言葉をよく使う。
理牌、洗牌、盲牌、おっぱい。

「そこの卓洗牌しといて〜」

「盲牌間違えた〜」

「倒す前に理牌しろよ〜」

「おっぱい」

このように雀荘に入ると、ぱいという言葉が飛び交う。ちょっとドキドキする。

麻雀牌にはおっぱいが紛れている

これ、意外と知らない人が多いんです。

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そう、2ピンです。これおっぱいなんです。
上の画像じゃわかりにくいので、横にしてみました。

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これでおっぱいになりましたね。
宣言牌が2ピンだと、少しドキドキしてしまうのは気のせいでしょうか。

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切り離して考えてみる

一度それぞれの事を考えてみよう。

麻雀は楽しい。勝ち負けで興奮するし、見ているだけでも楽しめる。点数の計算や、相手の手牌進行など、頭を使う事が多い。

果たしておっぱいはどうか。
ここで完全には一致しない事が分かる。
前半部分、”興奮するし、見ているだけでも楽しめる”の部分は当てはまるが、頭は使わないし、おっぱいに負ける事は無い。そもそもおっぱいはメインではない。付加価値だ。

“麻雀=おっぱい”という式は崩れた。

ということで、麻雀での付加価値を考えてみる。赤ドラだ。

おっぱいは赤ドラではないのかという仮定

赤ドラがなくても、三色や染め手など打点のある手牌は作れる。
表ドラもあるし、トップをとるためには、勝つためには赤ドラなんて無くても良い。

おっぱいがなくても、美人であればいいという人もいるだろう。

でもあるともっと嬉しい

フリー麻雀では大体の店でチップがつくので、赤ドラはとても大切に扱う。
手役なんて無くてもいい。赤さえあればいい。ごっと〜1枚ツモれればいい。
愚形だろうが、フリテンだろうが、赤ドラさえツモれれば僕は幸せだ。

おっぱいでいえば・・それはやめておこう。

このように、おっぱいと赤ドラは完璧に置き換えることが出来る。

赤ドラはおっぱいである

遂にこの結論にたどり着く事が出来た。
麻雀をやる人であれば、しっくりくるでしょう。こないのであれば、麻雀を勉強し直した方がいい。

赤ドラは大事だけど、それだけが全てではないという事がお分かり頂けただろうか。逆もまた然り。
それを踏まえた上で、明日も僕は鼻の下を伸ばしてこう言うだろう。

「ごっと〜1枚」

※気分を害された方には心よりお詫び申し上げます。

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