第一話 あいぽっぷの桂木くん

第1話 あいぽっぷの桂木くん

第1話 横表紙

第1話 / 全5話|約9240字|読了 14〜19分

あいぽっぷの桂木くん

十五時

起床時間は十五時、そろそろ日が暮れ始める頃。

アラームを止めて、煙草に火を点けると、もう麻雀の事を考え始める。

僕の仕事は雀荘の店長。名前は桂木とでも名乗っておこうか。

昨日はなぜ負けたのだろう。マンションのベランダから外を見下ろすと、下校中の小学生の列が見えた。昼夜逆転の生活をしていると、たまにお日様の光を全身で受け止めたくなる。身を隠すように部屋に戻り、風呂場へ向かう。

いくら考えたところで、まともな改善策は見当たらない。熱いシャワーを浴びて目を覚ましながら、昨日の事をまだ考えていた。以前負けた日の共通点を考えていた時、パンツを履いていたという結論に至り、試しにパンツを履かずに麻雀をしてみた事がある。全ての行動が麻雀に繋がってくると考えているから、パンツを履かない事で勝てるならお安いものだ。なぜかその日は負けたけど、勝つためにやれる事はやる。思い返してみると、負けて良かった。勝っていればこれから麻雀を打つ時にはパンツを履けなくなる。

少しのんびりしてから、仕事の準備。準備と言っても財布とiPhoneを持てばそれでおしまいだ。通勤手段は電動自転車。バッテリーが充電されているのを確認して家を出る。途中、いつものコンビニでいつものコーヒーとパンをカゴに入れる。目に止まったお菓子も適当に掴んで入れた。レジに持って行き、いつものおばちゃんに煙草もちょうだいと言うと、振り返りながらこう言った。

「夜から朝にかけて雨が降るよ」

「えー、ほんとに。朝の予報もあてにならないね、自転車で来ちゃったよ」

年齢確認のボタンを押して、いつも通り電子マネーのジェスチャーをする。おばちゃんはうなずいてから、さっき家を出る前のテレビで見たと言った。

「でも帰るのは朝だろう?早朝には止むって予報だったけど。念のため私がてるてる坊主を作っておいてやるよ」

商品を袋に詰め、僕に手渡しながらにっこり笑った。その袋から、ブラックサンダーを一つ取り出し、これ食べてよとおばちゃんに手渡して、お礼を言って手を振った。

ここはちょうど職場との中間地点。片耳にイヤホンを付けて、いつもの音楽を流す。なんだか今日は勝てそうな気がしてきた。また自転車を漕ぎ出すと風は冷たく、空の色は濁っていた。

十六時

職場は駅前のビル。駐輪場に自転車を止め、エレベーターは使わずに階段で三階まで昇る。負けた人間は大抵がエレベーターを使っているからだ。三階まで上がると、二つのテナントが入っている。左には、小学校受験のための塾。高級住宅が並ぶベッドタウン、このあたりのお坊ちゃん達が通う塾だ。右には"iPop"という雀荘があり、僕はそこで店長をやっている。こんにちはと子供達に挨拶をして、雀荘の鉄の扉を開ける。

店に入ったら電気と有線を付けてシャッターを上げる。煙草に火を付け、おしぼりウォーマーと自動卓の電源を入れると、カウンターに腰掛けて今日のゲームシートを出す。目の前にある一番卓の卓上には、昨日の最後の対局がそのまま残っていた。倒れている手牌は一発逆転の親倍で、まくられたのは僕だ。

洗牌道具を持ち、その瞬間を思い出しながら昨日の席に座ると、十時間前の風景が浮かんでくる。四万点を超えた断トツのトップ目だった僕は、重たい配牌を見た瞬間にオリを選択した。ジリジリとして誰も仕掛けないまま局は進み、残りツモ三巡でリーチをかけた親が一発でツモった。下家の手牌を倒すと、字牌が二組対子のイーシャンテン。字牌を絞らなければ、点差の離れている二着だった下家が捌いていただろう。さっさと走らせておけば良かったと反省して山を崩した。

昨日の悪いイメージを忘れ去るように力を込めて牌を磨く。急いでいる訳ではないけど、洗牌の早さには自信がある。もちろん仕上がりの綺麗さにも。フリーの営業時間は十七時から、朝、卓が割れるまで。帰るのは朝の七時前後の通勤ラッシュだ。

洗牌が終わり、一通り開店の準備を終えると、パンをかじりながら収支ノートを開いた。今月も半ばに近いが、少しながら成績は黒字だ。フリー雀荘で働いていると、お客さんと麻雀を打つ。その時賭けているお金は自分のお金、だから負けられない。長年のサイクルで、後半戦に弱い事は分かっているので、なるべく前半戦に貯金を作っておきたいところ。なぜ後半戦に弱いのかは探求中だ。

のんびりコーヒーを飲んでいると、鉄の扉から従業員が二人出勤してきた。さて、最初のお客さんは誰だろう。

十八時

オープンから一時間経つと、メンバーもジリジリしてくる。歯ブラシで牌を磨きながら、誰が最初に来るか当てようとゲームが始まった。平日に来店率の高いお客さんの名前が挙がったけど、思いがけない人が来るような予感がして、僕は名前を挙げなかった。

隣の塾の子供達も帰り始め、エレベーターホールにはお見送りの先生達が列をなしている。ガラスの扉越しに目が合った子供に手を振ると、走って逃げた。人見知りなんだろうと決め付け、誰か来ないかなあと店内から外を覗く。

このビルの構造は変わっていて、道路側はガラス張りで外が見える。隣も塾だけど、上のフロアにも小学生向けの塾があるため、お迎えのお母さんたちが頻繁に出入りするのがよく見える。ただのお迎えだというのに、競うようにオシャレをしている綺麗なマダム達は眺めていて飽きなかった。

ぼーっと外を眺めて二分ほど経つと、松葉杖をついた人がこのビルに入って来た。この時間に営業しているのは、地下のバーとうちだけ。地下への階段を降りないという事は、目的はうちだった。上を見上げているので手を振ると、振り返してきた。誰かまではわからないけど、人見知りではないようだ。エレベーターが三階で止まり、出てきたのはすーさんだった。いつもは休日にしか来ないお客さんだけど、右足には大きなギブス。どうしたの、大丈夫?と聞くと、歯の抜けた口から元気そうな声が返ってきた。

「事故っちゃって仕事にならないよ」

じゃあ時間はいっぱいあるねと満面の笑みで卓まで肩を貸した。思いがけない人が来た事で、今日の手応えを感じた。

十九時

あれからもう一人来店があり、一卓二入りの状況。四回やって四連勝、麻雀はすーさんが噴いていた。すーさんは自他共に認めるうちの負けガシラで、さっき僕から溢れた笑みはそれが理由だ。しかし、どれだけ普段負けていようと、たまには勝つ日もある。それが麻雀の醍醐味でもあるけど、その日は他所でやってほしいと、ぶち当たる度につくづく思う。

「いやー、たまには足も折ってみるもんだな!」

「まだ朝まで時間はあるんだから、飛ばし過ぎて息切れしないようにね」

そう言いながら、もう一本折ってやりたくなる気持ちをこらえていた。

iPopは点五の東風戦。ウマはワンスリーで、赤が三枚、金が一枚。赤裏一発は面前のみ二百円、金は鳴いても五百円だ。一発と海底のみ有効の白ポッチも入っている、よくあるスピードバトル。点五とはいえ、回りが早いので、刺さる時にはズッポリ刺さる。

開始から一時間と少しで早くも三本目のアウトを切りそうな展開。アウトとは、従業員が麻雀を打つためにレジから出金するお金の事で、"iPop"は五千円単位で出金する。稀にだが、お客さんにも種銭が尽きた時に出す事もある。ギリギリ持ち堪えたところでまた来客。打ちたがりな僕といえど、この卓は分が悪いと見て、もう一人の打ちたがりにすーさんの卓を任せて席を立った。一卓一入りに落ち着いたので、夜食を買いにすぐ近くのスーパーへ向かった。

ちらほらと雨が降り始めていた。

二十一時

また卓に座った。まだまだ前半戦だけど、スタートまでの手応えは見失ってしまった、未だいいところ無しの麻雀である。買い出しから帰ってきた後、フリーは二卓に伸び、セットが一卓入った。飲み会帰りのサラリーマン達が卓を囲み、楽しそうな雰囲気が店を包む。

フリーでは、黙々と打ちたいので店内は静まり返っている方がいいと言う人もいるけど、今日のメンツにそんな人はいなかった。珍しくすーさんが平日にいるので、常連達で盛り上がっていた。スタートの時に調子の良かったすーさんの成績は早くも急下降。グラフにすれば尖った山が描かれるだろう。

「あんまり人の金をばらまかないでよ!」

俺が取り返すんだからと、またラスを引いたすーさんに別の卓から叫びながら、麻雀は苦戦していた。和気あいあいとやっているすーさんの卓は、どうしても回りが遅い。もう一人の、のんびりやりたい年配のお客さんとメンバー二人にその卓を任せ、比較的打つのが早いお客さん三人の中に僕、という卓を組んだ。

一ゲーム平均十分で回る優秀な卓が出来たけど、なんせ面子が辛い。それだけのスピードで打てる常連達だ。それなりに場数も踏んでいて腕が立つし、手の内も知り尽くした面子だった。東風戦だという事も合い重なり、ツキが左右する局面が増えてくる。そしてどう見ても今の僕にツキは無かった。

今日一日の事を考えると、ここは耐えなければいけないところ。

二十三時

何をやったってダメな時はある。押せば刺さり、引けばツモられる。アガリは少なく、カゴのお金はどんどん減っていく。いつ抜け出せるか分からない底なし沼。希望の光が見えたかと思えば、手を伸ばした瞬間にふっと消えてしまう。そんな暗闇にいるような時間。信じなければいけない希望の光すら疑い始めたら、金の無駄なのでそれ以上麻雀を打たない方がいい。そんな心理状況で打つ麻雀の結果なんてたかが知れるし、そうなったら負けるゲームだ。メンバーは打数が多いから、流れが悪い時には交代してもらうのが一番。いくらでもチャンスはあるのだから、わざわざ流れに逆らう必要は無い。

ただ、本当に流れが悪い時には交代すら出来ない状況になる。

換気のため開けているベランダへの裏口から、ビルを叩く雨の音が店内まで聞こえる。雨は次第に強くなり、客足を遠ざけて座っている者を留めた。卓を伸ばしてからというもの来店は無く、かといってラス半も入らず、メンバーが三人座っている状態が続いていた。

あれからトップを一回取ったけど、苦しい時間が続いていた。じりじりと減っていくカゴのお金。すでに一日の給料以上は溶けている。煙草が吸いたいなと思いながら、頭の中にはさっき見ていたノートの数字が浮かんでいた。

半荘が終わった時に席を立ち、みんなにおしぼりを持って回った。残ったおしぼりで顔を拭き、椅子を回してから席に座った。二十四時日付が変わる少し前、精算のタイミングで少し席を立たせてもらい、分厚いカーテンとシャッターを閉めた。雀荘という商売は、最近改正された風営法四号の許可の下に営業している。これには営業時間の規制があるけど、どこの雀荘もそんな事は守らない。なので、どこも分厚いカーテンを使用し、外に光が漏れないようにする。あまりに派手な事や、タレコミでも無い限り、警察の手入れも入らない。警察が来たところで、打っている客がしょっぴかれるなんて事はまず無く、注意で終わる。

警察の目的が深夜営業であればだが。

iPopでは本走中(麻雀中)のタバコには規制があった。人の出入りが多い二十四時までは卓上で吸えないが、日付が変われば吸ってもよい。時計を確認し、同卓者に煙草を失礼しますと一礼する。

煙たいからやだよ、と咥え煙草で対面の常連が言った。僕は煙草に火を付けてこう言う。

「これから煙たくなるのは僕の麻雀だよ。ねえ、場替えしない?」

僕と同じくツイていなかった下家の常連に問いかけた。ここ一時間くらいはムスッとして会話にも参加してこない。煙草を手に取り、シカトをされたかと思ったけど、火を点けてから無言で卓上の東南西北を集め始めた。

「よし、心機一転みんなに飲み物持って来るよ。みなさん何飲みますか」

従業員がずっと入っていたため立ち番がおらず、お客さんのサイドテーブルには空のコップとパンパンの灰皿が目立っていた。手伝おうとする二人の従業員には卓の進行を優先してもらい、一人で二卓分のオーダーを取り、灰皿を交換する。セットにはコップと麦茶のピッチャーを持って行ってあるので手がかからない。全員分の飲み物を持って行ってから卓に戻る。

作ってきた自分用の飲み物は、暖かい牛乳に砂糖をたっぷり入れたもの。この時間には最高だ。そして来るときにコンビニで買ったチョコを口に放り込んだ。長時間頭を使っていると、甘い物を体が欲するようになる。三人はもう牌を引いて、席が決まっていた。残っている東を盲牌して、好きな漫画のセリフを言った。

「俺は東を引いて負けた事がないんだ」

流れを変えるために出来る事は全てやったと思う。

二時

店の電話が鳴った。従業員が全員卓に入る時には、店の電話の子機をカゴに入れておく。数枚の千円札に埋もれた電話を取り、同卓者に一礼してから通話を押す。

「もしもし、はい。来店された事はありますか?」

二四時を回れば、電話応対の際に店名を名乗る事はしなくなる。近くにいるけど場所が分からないという新規客からの電話だ。シャッターは閉まっているし、営業中には見えない。この辺りの土地勘が無いらしく、下まで迎えに行くことにした。

「誰か来るなら、ちょうどいいから俺抜けるよ」

卓が割れないよう、気を使って打ってくれていたお客さんだ。誰か来たら帰るけど、打ててもあと二、三回だと言っていたばかりだった。ありがとうと告げて下まで降りる。

さっきよりは弱まったが、まだ雨は降り続いている。傘を差してあたりを見渡すと、傘を差さずに小走りでこちらに来る影があった。パーカーのフードを深く被った、ラフな格好だった。 一緒にエレベーターに乗って店内へ入り、体を拭いてくださいとまずは乾いたタオルを渡す。この新規客、出会い頭からここまで、頷きはするものの終始無言だ。雀荘にはそれぞれ色がある。フリー雀荘は知らない人と打つ事が前提だけど、大人が四人も集まってやるゲームだ。雰囲気やコミュニティなど、それは長い時間をかけて、白いキャンパスに色を付けていくようなものだ。 長年"iPop"で働いている僕は、この新規客が根付かないだろうとその時思った。 おしぼりと飲み物を出し、まずはルール説明。説明をしている様を見れば、その雀荘のレベルが測れると言うくらい大切な事。説明不足でトラブルが起きるなんて事はあってはならない。

記入してもらった新規用のアンケート用紙には色々な項目があるけど、殴り書きで名前の欄に関根とだけ書かれていた。本名かどうかも分からないけど、そこに突っ込まない。僕も他所の雀荘に行く時は意味も無く偽名を使ったりする。

お客さんが待っているので、のんびりと世間話をしている暇もなく、説明を始めた。面倒だけど、上から下までしっかり口に出して説明する。ルール説明の時、店のレベルが知れるのと同時に、そのお客さんの、ある程度のレベルも知れる。飛ばしてもいいと思うような項目でも、こちらの意向を汲んで黙って全部聞く人は慣れている。安心すると同時に、あまり打ちたくないと思う。関根さんの聞く姿勢を見ていると、慣れている印象を受けた。

最後に、基本的には朝方に卓が割れる事を説明してから席までご案内。待ちくたびれた二人はスマホでゲームを始めていた。やるよ!と声をかけて時計を見ると二時を少し回ったところだった。そろそろ終着点が見え始める。場替えから麻雀の調子は上がってきた。

「当店ご新規、関根さんです。よろしくお願いします」

関根さんは僕の対面に座った。いつもの常連達と打つのも楽しいけど、やはりたまには変化が欲しい。新規の来店はいい刺激だ。待っていた二人も同じ事を考えているような気がした。

打ち始めてみると、やはり麻雀には慣れていた。新規が来た際にまず注目するのは牌捌き。全てが分かるとは言えないが、ある程度の指標にはなる。見たところ、かなり打ち慣れている様子だ。脇の二人が新規客を試すかのように、さっきまでのスピードで打牌を繰り返す。数局様子を見たけど、スムーズに場が流れる。僕は気を使って少しテンポを遅くしていたけど、気遣いはいらないようだ。

三時

「こんなのツモったよ!倍満かな?」

隣の卓からすーさんの声が聞こえる。新規がいる卓では注意もするけど、常連とメンバーで囲んでいる卓にそんな事言うのは野暮だろう。すーさんは負けていてもニコニコ麻雀を打つから、勝っていてもそこに嫌味がなく、卓内はいい雰囲気だ。さて、こちらの卓はというと、まるで別の店にいるかのような緊迫した麻雀が続いていた。淀みなく繰り返される打牌、程良い緊張感が心地良い。その心地良さは、僕の成績が良くなってきた事もあるかもしれない。

この面子になってから五ゲームが終わったけど、未だ新規にトップは無い。打ち慣れてはいるが、東風戦には慣れていないといった印象だった。たまにダマテンで上がるものの、決定打にはならず、勝負手が上がれないといった典型的な悪い流れにもハマっているようだった。親番になると焦って上がりに向かうけど、それもまた見事に空ぶった。珍しくリーチをかけて流局した際に開けた手牌は、写真を撮りたくなるような綺麗な手牌だったけど、上がれなければ意味は無い。

刺さってはいるものの、特に腐るでもなく、変わらないテンポで打っていた。通常、メンバーは自分の給料から負け分は払うので、負けて客に還元した方が喜ぶ雀荘経営者も多いが、うちでは負ければ負けただけ怒られる。新規だろうと麻雀の手を抜く事は無い。何処の誰であれ、卓に入れば正々堂々と勝負をしろというオーナーの教えがあった。この世界では理由なんて関係無く、結果が全てだ。そして新規への洗礼だと言わんばかりに、僕の手牌には良い波が押し寄せる。二万を超えていた負けは、一万円を切っていた。

またトップを取り、今日は勝ちまで見えると思っていた矢先に隣の卓からラス半が入った。次回、僕の席にすーさんを座らせて一卓に合流する事になる。その日最後の本走だと思い、気を引き締め、自分に言い聞かすつもりで声を出した。

「ラストゲーム頑張って下さい!」

四時

僕の最後のゲームは二着で終わった。今日の成績は三千六百円負けだった。最初の不調を考えると合格点ではないだろうか。

「新規のお客さんがいるから、粗相のないようにね」

先に終わって待っていたすーさんに声をかけながら席を立つ。良い席に仕上げといたよと、小声ですーさんにだけ聞こえるように言った。カゴを覗いてみると、数枚のお札の中に一万円札が入っていたので、少し戻したのだろう。同卓していた二人の従業員がかわいそうだ。朝までは固いメンツが揃ったので、あとはのんびり片付けるだけ。僕は持ち込みでやっていたゲームシートの記入だ。

ゲームシートとは売上表のようなもの。誰が何処に座り、始まった時間、着順を記入する。従業員やお客さんのアウトを記入するのもこのシートだ。つまりこれを見て電卓を叩けば、その日の売り上げとレジ金が分かる。全員が卓に入る際は、メモ用紙に着順と時間を記入し、記入者がゲーム代を集金する。長い時間全員が麻雀を打っていたため、レジ金が合っているかが気がかりだったけど、ピッタリ合った。二人の従業員は合わせて三万程負けていた。

「レジオッケーです!」

レジ金が合った事をメンバーに共有する。小さな事だけど、現金が飛び交う雀荘の中では大切な事だ。一通り整った後、後ろいいですかと一声かけて、関根さんの後ろに丸椅子を置いて座った。やはり打ち慣れている感じは出ていた。そのへんの東南戦ではあまり負けないのではないだろうか。しかし僕の後に座ったすーさんが最後にも噴いた。対面なので手牌や手順は分からないけど、イキイキとしたツモと打牌は伝わってくる。すーさんが座って三回目が終わった時、関根さんが五千円の両替をした。もうこれまでに二度の万両(一万円両替)をしているので、これが尽きたらお終いだろうと思った。

五時

東ラスの親番、すーさんが僕に名指しでリーチ代走を頼んだ。赤金ドラとデカい手で、待ちは僕の得意な四-七萬だった。それを知っていて、頼んだよとニヤリと笑ってからトイレに立った。一発は無かったものの、あっさりツモってトップで終了。清算を終えたところで、関根さんからギブアップが入った。新規のお客さんにトドメを刺したのはすーさんだった。お客さんの財布事情を把握しておく事もメンバーの大事な仕事。やはりあれは最後の両替だった。うちはお客さんにアウト(店から金を貸す事)も出すが、一見の客に出す事はまず無い。それにつられるように、脇の二人も終わる事になり、今日は卓割れだ。五時を過ぎて電車も出始める時間。

「すーさんがあんまり強いからで卓が割れちゃったよ」

「バカ言っちゃいけねえよ、この店の負けガシラは俺だぜ」

すーさんがトイレから帰ってくる頃には、同卓していた常連二人は帰っていた。冗談だよと笑いながら卓の片付けを始める。関根さんはやっぱり無言で店を出ていった。

「あの人また来るかなぁ」

「終電でも無くなって暇してただけじゃないか?」

片付けをしながらすーさんと雑談。大暴れしていた今日のすーさんの収支を聞いた。カゴに入っている札を掴んで言う。

「五千円の負けで済んだよ」

「すーさんは来れば二万円負けるんだから、実質勝ちみたいなもんだね」

実質という言葉を付ければ何となくそんな気がしてしまうが、そんな事はない。すーさんはそうだなと言って歯がない口でニッコリ笑った。いつも卓が割れてから店を閉めるまでは、待ち席のソファでのんびりしていくのがすーさんのスタイルだ。ソファまで肩を貸し、店を閉める準備。一人は卓掃、一人はトイレ掃除、僕はレジを閉める。ゲーム数、レジ金が合っている事を確認してから収支ノートを開く。少し勝ちは減ったけど、月間で見れば今のところ悪くない成績だ。ノートを書き終えると、ちょうど二人も掃除が終わったようだ。ここですーさんのためにタクシーを呼ぶ。

「さあ、すーさん帰るよ!」

また肩を貸してエレベーターに乗り、下まで降りる。外に出るとちょうど良いタイミングでタクシーが来た。また明日ねとすーさんを乗せて、僕は駅へ向かった。もう朝日が昇っていて、地面は濡れている。自転車置き場に向かいながら、そういえば雨が降っていたなと思い出した。同時にいつものコンビニのおばちゃんの顔も浮かんだ。てるてる坊主を作ってくれたんだろう、また明日お礼を言っておこう。今日も負けてしまったけど、この朝日のおかげで僕も実質勝ちだなと一人でニヤリとした。

何故負けたのかを考えながら、いつもと変わらない日常に満足して自転車を漕ぎ出した。


第1話 縦表紙

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