第二話 さすらいの麻雀マシーン

わくちゃんが店に馴染むのには時間がかからなかった。機械のように一定のスピードで黙々と麻雀を打つ姿から、「麻雀マシーン」というあだ名が付いた。でもそれは麻雀だけの話。雀荘を転々としているため、コミュニケーション能力は高く、空気を読んだ発言や、サイドテーブルへの気配りなど、機械では出来ない事もやってのけた。負けていても、楽しそうにニコニコ麻雀をする。僕が先輩として教えた事など初日の説明だけで、それからは雀荘での仕事を色々と教えてもらっていた。寮はお店の近くだった事もあり、仕事が終わってからよく遊びに行ったりしていた。寮にはボストンバッグと布団があるだけで、その他に置いてあるものといえば、コンビニで揃うような物ばかりだった。
オーナーの言っていた「あいつはダメだな」というセリフの意味が分かりはじめたのは、セミが鳴き始めた頃の事。働き始めてからの四ヶ月、わくちゃんは給料が残らなかった。麻雀が弱いのだ。
メガネの奥の鋭い目で場を見渡し、牌効率や、手牌読みなど、正確に当ててのける腕はあるものの、麻雀に勝てない。理由として、客の収支に気を使いながら打つ古いメンバーの考えを持っていた。卓に入ればみな平等、命の次に大事な金をばら撒く必要は無いと、オーナーからもそう指導されていたにも関わらずだ。そして慣れない東風戦という事もあるだろうが、極端にツイてなかった。それに関しては一時的なものだろうと思っていたが、一向に勝つ気配は無かった。東風戦で、放銃無しで飛んだのを見たのはわくちゃんが最初で最後だ。
貯金も無く、給料が残らない。寮があるから寝床はあるけど、その日の飯を食わなければならない。 わくちゃんはアウトを抜き始めた。フリー雀荘では、お客さんとお金を賭けて麻雀を打つが、その種銭はまずお店のレジから出る。それをアウトと呼ぶ。一日が終わると、残っているお金は増えていようが減っていようが店に入金する。そして月末に収支を計算し、それが給料に反映される。給料以上に麻雀で負けてしまうと、アウトオーバーとなり、給料は残らず借金が出来る。一度こうなってしまったら、よほどの気合いを入れない限りは負のループに陥る。「iPop」では、アウトを抜く行為は厳禁だとオーナーからキツく言われていたが、わくちゃんはアウトを店に入金する前に、少しずつポッケにお金を入れていた。現場を見てしまった時に、僕は言った。
「わくちゃん、お金の事ならオーナーに相談した方がいいんじゃない?」
「どうせ自分に返ってくるお金さ、いつもらうかの話だよ」
結果的には自分の給料が減るだけという理由から、本人に罪の意識はあまり無いが、隠れてやるのはやましい気持ちがあるから。無論、その時点ではアウトはお店のお金だ。わくちゃんには色々教えてもらったし、一緒にご飯を食べたり麻雀の話をしていて楽しかった。それだけに、この時は複雑な気持ちになった。

さらに時は経ち、二度目の春に差し掛かる頃には、わくちゃんのアウトはさらに増えていった。経験の少ない僕でも分かったが、見ていて勝つ気が無い。どうせ膨らんだ借金は返せない。日々の飯代を抜くために麻雀を打っていた。
オーナーがわくちゃんの行動を不審に思い始めたのもこの頃。成績を着けているため、出金額と入金額が、着順と噛み合わなくなってくる。
とある仕事終わり、二人とも連勤だったので、寮に泊まりに行く事になった。いつもの松屋で飯を食ってから質素な部屋へ。もともと物は少なかったけど、さらに何も無くなっていた。わくちゃんが初めて店に来て、寮を案内したその日の風景だった。
「俺、明日で辞めるよ」
ついにその日が来たと思った。理由を聞く気にも、引き止める気にもなれず、ただ頭に浮かんだ事をそのまま聞いた。
「次はどこに行くの?」
「都内とだけ言っておくよ。あれこれ詮索されても困るだろうからね」
わくちゃんのアウトは、普通に働いていても返すのが大変な額まで膨らんだ。こうなるのも時間の問題だと思っていたけど、僕に話してくれたのは嬉しかった。

そして翌日、いつも通りに二人で出勤した。オープンの準備が終わり、雑談をしたり軽食を取ったりと、まったりとした時間が過ぎる。いつもと変わらない日常だ。
いつものようにお客さんが来店し、いつものように卓が立ち、わくちゃんもいつも通り振舞っている。もう会う事は無いかもしれない。一緒に麻雀を打つ事は無いかもしれない。そう思うと、複雑な心境でツモる切るを繰り返す。他のメンバーやお客さんには、そんな事を悟られてはいけないので、僕もいつものように振る舞う。18時を過ぎ、お客さんが二人になり、僕とわくちゃんの2入りの状況になった。その日の僕は流れが良く、何をやってもアガれるような流れだった。
「今日のわくちゃんの給料をもらうのは桂木か」
わくちゃんは弱いという事が、お店の中で周知の事実になっている今、わくちゃんと同卓した三人のうち、誰が勝つかという雰囲気になっている。僕からしたら少し気分は悪いけど、わくちゃんは機械のような営業スマイルでニコニコしている。悔しくないのかと、それに対しても気分が悪くなる。とはいえ、どんな事があろうかと僕だって自分のお金を賭けているのだから、情けを掛ける事は無い。それは相手に対して失礼だとも思う。
二連勝した後の半チャン、起家スタートで迎えた親番、テンパイを入れた時に根拠も無くこう確信した。

「このリーチはツモる」

そして話は冒頭に戻る。
対面が満貫をアガった後の東二局、僕が対面に満貫を放銃して、わくちゃんの親はすぐに落ちた。東三局、上家がタンヤオ風の仕掛けを二つ入れる。ドラは字牌で三枚切れている状況。金五萬は僕が持っているため、対面の親を流せるのであれば放銃は怖くない。金を上がりたいのもあったけど、打ってもいいと思いながら切った牌で3900を放銃した。二回連続の放銃になったけど、二着とはまだ二万点離れているダントツのトップ。あとは東ラスを消化すれば三連勝だ。

迎えた東ラス、ドラと赤は一枚も無く、配牌は悪い。良い流れはここで終わりだと思ったと同時に、まくられるような嫌な予感がした。連続放銃ですっかり弱気になっていた僕は、早く脇の二人にアガってほしいと思っていた。対面が早々に役牌を鳴いて二着を取りに走り、下家のわくちゃんは萬子一直線に走っていた。金の所在が分からないのが気になるけど、わくちゃんになら跳満を打ってもトップ、倍満でも南入の状況。早く終わらせたい一心で、何枚か萬子を切るけど、仕掛ける気配もない。ジリジリと進行していき、残りツモが五回になったところで親からリーチが入った。これはまずいと僕の第六感が叫ぶ。対面は現物の対子落としで回っているようだが、この順目じゃアガリには期待できない。そんな中、わくちゃんはいつもの機械のようなモーションとは違い、珍しく強打で無筋を切った。いつもなら自分が飛んで他家の着順に優越を付けないよう、気を使って降りている場面だが、誰にでも分かるテンパイのサイン。わくちゃんが打てば飛ぶので、その展開も悪くないと思っていた。流局が見えてきた親の最後のツモは六萬。萬子を一枚も切っていないわくちゃんに対して強打をするが、声はかからない。あとは僕とわくちゃんのツモ番でこの局は終わる。安全牌を切り、この局は凌いだと思ったが、胸騒ぎは収まっていなかった。
わくちゃんの最後のツモ。他にお客さんのいない店内に、ツモの声が響いた。ツモった牌は一枚切れの九萬、開いた手牌は金入りで萬子の清一。よく見れば七萬が二枚ある九連宝灯だった。6−8−9萬待ちで、親の六萬は見逃しだった。
「人生で初めてアガった!!!」
周りの目も気にせず喜ぶ表情は、今まで見てきた機械のような笑顔ではなく、人間味に溢れていた。お客さん二人は話が違うと不満気に役満祝儀と点棒を支払う。トップは捲られたものの、わくちゃんの喜ぶ顔を見て、僕も自分の事のように嬉しくも切ない気持ちになった。九連宝灯を目に焼き付けて清算を済ます。

役満を上がったけど、その後はしっかりと負けてわくちゃんの最終日は終わった。そしてその日のレジ金十二万円と一緒にわくちゃんは消えた。次の日、わくちゃんが来ない事、レジ金が無くなっている事をオーナーに報告すると、すぐに寮を確認してこいと言われた。もう一人のメンバーに店を任せ、誰もいないと分かっている寮を見に行く。桜並木を抜け、ドアを開けると、玄関に桜の花びらが数枚落ちているだけで、案の定もぬけの殻だった。その後、何か聞いていなかったかと詰められたけど、知らぬ存ぜぬで突き通した。最初こそ怒っていたが、すぐに諦めたのが分かった。オーナーもこうなる事は分かっていたのだろう。僕は雀荘メンバーの闇の部分を知った。

ーーあれから約十年が経ち、立場も変わって店長となった今。あの行動をする者がいたらどう対応するのだろう。毎年考えさせられるが、未だ答えも同じ行動をする者も出てこない。桜の下の人は増え、楽しそうな声が聞こえる。気付けば遅刻ギリギリの時間だ。散る花びらに打たれる度、あの九連宝灯を思い出す。死の役満をアガって、わくちゃんは去っていった。しかし、すでに死んでいたという方が正しいのかもしれない。何度思い返してみても、給料も残っておらず、麻雀で勝たなければならない立場で、あの見逃しが正しいとは絶対に思えない。途中、鳴ける牌も何枚かあったはずだ。

僕もいつか九連宝灯をアガる時は、メンバーとして死ぬ時なのかもしれない。その日が来ないように願う反面、待ち遠しくもある。

マンション麻雀

先日Kindleにて出版した、主人公は同一人物の「マンション麻雀」。こちらも是非。