マンション麻雀

第三章 週末の終幕

「倍返しだ!!」

リーチに振り込んだお客さんが、当時大流行していたドラマのセリフを叫ぶ。いつもと変わらない日常の中、ひたすら麻雀を打つ生活が続いている。この雀荘で働きながら、また年末を迎えた。クリスマスになると、サンタのネクタイを締めてくるお客さんがいて、それを見るのも今年で四回目だ。

「iPop」のオーナーは麻雀が強い。
この店では、アウトの管理は全員が一冊のノートに記入していく。何年もノートを見ているが、年間の成績が負けていた事は無く、月間でも赤い文字は稀にしか見ない。
僕の麻雀には、この店の血が100%流れている。牌効率など、数学的な勉強はしたことがない。ここで教わったのは仕事として麻雀をし、記録を着ける事。そのおかげで、マンション麻雀にお呼ばれするくらいの腕はついていた。
目標が無いと日常にメリハリが無くなる。数字を徹底的に追いかけ、暇さえあれば麻雀の後ろ見。週に一回の休みにも繁華街へ出向いて雀荘で牌を触り調整する。そのすべての行動は、マンション麻雀へ照準を合わせていた。

千円の麻雀

水山さんからお誘いの電話はあれから鳴っていない。これまで二回マンション麻雀に行って、川嶋さんの代打ちで約二十万円の貯金を作った。次回は更に余裕を持って打てるだろう。最後にそこに行ってから三週間経った。
一週間前にあった水山さんからの電話は、お誘いではなくマンション麻雀の近況報告。1000点千円の場が最近よく立つらしく、この前は水山さんが代打ちし、三十万円程勝ったとの事。勤務時間中の代打ちだったので、報酬はいらないと断ったというところは水山さんらしい。
だが、川嶋さんは僕に打たせてもいいと思っているらしい。麻雀は素人だが、博打に関してはベテラン中のベテランに信頼されるのは嬉しかった。負け分は全額負担してもらい、勝ち分の二割が報酬という約束。レートが上がれば報酬の額も上がる。負けても自分は負担しないので、レートは高ければ高い方が良かった。

たった二回で勝ち取った信頼。水山さんの推薦というのも大きかったとは思うが、それは自信に変わり、結果に繋がっていた。あとはいざその時が来るまでこの良い状態を維持する事。1000点千円の麻雀は一晩で数十万以上動く。東風、赤三チップ五千円の麻雀なら三回程打った経験があるが、全て三人で組んでお客さんをハメる殺しセットだった。
マルエーのルールを取り入れれば、二着でも浮く事は少ない。通しも使うし、女を用意して色仕掛けも使う。後は程よく熱くさせるトークがあればまず負ける事は無い。そんな事をしていたのも三年前。舞台は色々あったが、麻雀の中で生活していた時期だった。

その時を思い出しながら、夢の中でも麻雀を打っていた。

鉢合わせ

次のレートはいくらだろう。あの場所で打ちたい気持ちが先走りそうになるが、自分からは連絡せずに水山さんからの連絡を待った。
とある休みの日。生活のサイクルが真逆のため、終電近くに家を出て繁華街まで麻雀を打ちに行く。打ちたい店は二店あったが、調子を見てレートとルールを調整するつもりだった。一店目に行く途中、信号待ちをしていると、ガラの悪い集団が道路の向こうに見えた。信号が変わり歩き出すと、見た事のある顔が見える。待っている時は分からなかったが、若い連中が一人を守るように囲んでいる。

「おお、兄ちゃん!どこ行くんだ!」
最悪だ。マンション麻雀を開帳している若頭の二瓶さんだった。
「今もやってるぞ、打って行くか?」
「最近はでかいのも立ってるぞ、小遣い稼いでいけよ」
横断歩道の上で二瓶さんに畳み掛けられる。でも自分の金で打つつもりは無いし、自分の連絡先を教えて水山さんを通さずに行くつもりも無かった。
「今日は待ち合わせがあるのですいません」
「そうかぁ、また遊びに来いよ」

少し寂しそうな顔をしてからガラの悪い集団はまた歩き出した。横断歩道の上で良かった。初めて見る人もいたが、軽く会釈をしてから僕も歩き出した。その場所はマンションから近からず遠からず。そんな場所を呑気に歩いていた事を少し後悔すると同時に、彼らとの距離感について考えさせられた。今のところ僕に害は無いが、もし今一人では無かったらどうなっていただろう。

その日は麻雀を打つ気にはなれないなと思いながら歩いていると、ふとバーの看板が目に入り、気付けばそこへの階段を降りていた。

お誘いの電話

その日の「iPop」は暇だった。卓が立ったのはオープンしてから二時間後。牌磨きを二卓終えた頃、パチンコ帰りの常連が景品のお菓子を抱えて入って来た。
「軍資金はたっぷりだね」
なんて、称賛と煽りを込めて卓はスタート。一日の始まりとなる本走は気合が入る。すれすれのトップを取り、一回戦が終わったところで水山さんから電話が鳴った。三入り中だったので、次のお客さんが来たタイミングで卓を抜け、オーナーに「買い物に行って来ます」と外に出て折り返す。
「どんな感じですか?」
「そんな感じです」

この前の休みに二瓶さん達に会った事を伝えると、もう知っていた。恐らく僕を呼ぶように通達が入ったのだろう。次の休みに行く事になったが、レートは以前と同じ二百円のまま。慣れとは怖い。安いレートではないが、千円の麻雀の話を聞いた後だとあまり気持ちも上がらなかった。
「年明けにデカい麻雀が開催される」
その面子は今まで会った事の無い人達。いわゆる雀ゴロ達が集うらしい。枠がまだ空いているのかは確認中らしいが、水山さんは僕を推薦したらしい。今回の麻雀も僕がその卓に座れるかの基準となりそうだ。

「負けるなよ」
文字にすれば呆気ないが、色々な意味がその言葉には含まれているように思えた。余計な事は考えずに、目の前の麻雀に向き合う覚悟は出来た。時計を見ればまだまだ二十時。さて仕事はこれからだと意気込み、買い物も忘れて店に戻った。

お店でのこと

恐らく今年は最後の参加になる。仕事での成績も良かったし、水山さんの力もあるが、マンション麻雀でも負けなし。開帳が決まってからは仮想マンション麻雀として日々の本走に挑む。シミュレーションは完璧。
少し引っかかっていたのが、お店にマンション麻雀で代打ちに行っている事を言ってなかった事。十七歳からお世話になっているオーナーに話していなかったのは、やはりどこか後ろめたい気持ちがあったからだ。違法な場所だからとか、副業が禁止だとか、そういう話ではないが、リスクを考えると、やはりオーナーには話しておくべきだと思った。二十四時を過ぎると、シャッターを下ろしカーテンを閉め、深夜営業に切り替わる。お客さんの出入りも少なくなり、客足も落ち着いてくる。

朝までいるお客さん三人が固まり、新人メンバーの一入りで朝まで続く雰囲気がなんとなく出てきたところでオーナーに打ち明けた。
「実は最近マンション麻雀に行っています」
「ほう、どこのだ?」
特に驚いた様子は無い。実は水山さんとの出会いは「iPop」。オーナーも、もちろん面識はある。カジノの事、マンション麻雀の事、川嶋さんの事、前回と前々回の結果や感想など、なるべく細かく報告した。
「俺も行ってやろうか、代走じゃなくてもいいぞ」
「オーナーには少し物足りない麻雀かと」
「渋谷のカジノも知っておきたいな」

オーナーはバカラが大好き。どちらかと言えばそっちに食い付いてしまった。カジノの話が終わった後、ルールやレート、どんなお客さんがいるかなど、色々と質問は出てきた。昔からだけど、オーナーは僕が勝った報告を、自分の事のように喜んでくれる。マンション麻雀での話も楽しそうに聞いてくれた。でもその場所を紹介するつもりは無い。得体の知れない場所に、僕がクソガキの頃からお世話になっているオーナーを紹介したくは無かった。

「いらっしゃいませ〜」
新人の声。こんな時間に二人での来店。ちょうど麻雀が打ちたいと思っていたところだった。

夜の匂い

その日が来た。街はクリスマスムードから、年末ムードへ。どちらにせよ歩く人々は浮かれた顔をしている。十九時開帳だけど、一時間前にはその街に着いていた。寄り道をするつもりは無く、真っすぐマンションへ向かう。この前、若頭の二瓶さんとすれ違った横断歩道も通った。今日は出くわさなかったものの、これから先にあの道を通る事はないだろう。

目的地は坂を上り、ラブホテル街を抜けた場所にある。繁華街から一本奥に入ってしまえばガラっと雰囲気は変わる。風俗案内所の看板は眩しく、そこに立っているスーツを着たキャッチは、裏の付く場所ならどこでも連れて行ってくれる。明らかにデリヘルの送りのような車もチラホラ止まっていて、また少し奥に入れば早くも酔いつぶれたオヤジが路上で寝ている。

三度目だけど、この高揚感はたまらない。どんな人と打つのだろうか。分からない事を考えても仕方がないので、僕に出来る事と言えば早くマンションに入り、洗牌をして場に馴染み、万全の状態で待ち構える事。
早めに雰囲気に慣れてしまえば、お店側の人間としてメンバーのようにある程度自分の裁量で卓を回せるかもしれない。洗牌の際には傷付いている牌があるかどうか、リーチ後オールマイティーの白ポッチに何か目印はあるかどうかも確かめる。やれる事は全部やる。iPhoneの充電は80%、タバコは予備も二箱持った。身分証やキャッシュカードなど、本名が載っている類の物は家に置いてきた。

自分の中での確認作業が終わった頃、マンションに到着した。

準備

——ピンポーン
「桂木です」
無言でオートロックの自動ドアが開く。エレベーターに乗り、目的のフロアーに着くと、松田さんが玄関の前で待っていた。
「いらっしゃいませ」
相変わらず威圧感のある風体。今日もラフな格好だが、長袖長ズボン。前回少し見えてしまった桜の和彫りの印象が、僕の頭から離れない。
「早いな、また洗牌やってくれるのか?」
「そのつもりで来ました」

料理をしているスキンヘッドがおはようと、対面キッチンから顔を出す。匂いから察すると、今日もカレーだ。
「久しぶりだな、忙しかったのか」
ソファに腰掛けた松田さんが言う。水山さんがどういう話をしているか分からない以上、話に合わせるしかない。
「ええ、年末は何かと」
「最近の川嶋さんの成績はどうですか?」
「昨日、兄ちゃんみたいな代打ちが来て二十万負けて行ったよ。兄ちゃん、取り戻したれ!」
「今日の目標は三十ですね」

今日の目標金額も決まったところで、洗牌を始める。元々ここでは新しい牌を使っているので、ピカピカになるのが気持ち良かった。
開帳の三十分前となり、洗牌が終わる頃にチャイムが鳴る。入ってきたのはぴょんだった。ぴょんと会うのも三回目、少し親近感が湧いていた。開帳前に二人でソファに座り、少し話をする時間があった。
「僕が来るときはいつも会いますね、よく来るんですか?」
「打たない事もあるけど、よくいるよ」

つまり、暇なんだろう。気の弱そうな顔に、根っこが黒い茶髪。普段何しているかは分からないが、何もしてなくてもおかしくない。なのに、このマンションやカジノによくいるという事は、ろくな事では無い。それとなくぴょんの素性を探ろうとする。
「どうですか、麻雀とバカラの調子は」
「うーん、やっぱり勝てないね、昨日も負けたよ」
どこから金が出てきているのだろう。そういえば前回打っていた時、現金を出さずにチップが出てきていた。僕は代打ちなので手出しのお金は無い。それと同じなのか、アウト(店の廻銭)で打っているのか。
「僕、川嶋さんの代打ちなのはご存知だと思うんですけど、もしかして同じような境遇ですか?」
後ろにいるヤクザ達には聞こえない声で聞いた。すると周りを確認し、僕よりも小さい声で話し始めた。
「実は、二瓶さんのお金で打ってるんだよね。別に隠してる訳じゃないんだけど。。」

やはり、僕の頭の中でしっくり来た。これ以上の余計な事は聞かないでおくが、恐らく借金が有り、暇な時に若頭の金で席を埋める事くらいしか使い道が無いのであろう。
申し訳ないが、これからぴょんには徹底的に仕上がってもらう。元々弱いメンタルに、二瓶さんの代打ちなら感じているプレッシャーは凄いはずだ。その点僕は貯金も有り、のびのびと麻雀が打てる。卓に座る前から勝敗は決まっているようなもの。しかも同じ代打ちならパンクの心配が無い。
「お互い人の金だから気楽ですね!」
にっこり話かけたものの、苦笑いが返ってきた。そう、それでいい。

またチャイムが鳴り、次に来たのは江口さん。開帳まであと十分。
「お、久しぶりに見たな坊主」
「ご無沙汰しています」
「この前、お前のポンコツ師匠にカードで散々やられたよ。あいつは俺のカードの数字に一つ足すのが得意だな。腹が立ってしょうがねぇ」
水山さんはディーラーの仕事もしっかりこなしているようだ。博打場での良いお客さんの条件は、「金を持っている」「盆面がいい」「腕が無い」の三つ。麻雀に関して、江口さんは腕があるので面倒だ。
「坊主、バカラはやらないのか?」
「僕は勝てない博打はやらないので」
江口さんは自分の腕に自信を持っている。少し逆撫でしてやろうと思った。
「ほう、人の金だと強気だな」
「人の金だからですよ」

そう言って、ぴょんの方を見る。目が合ったので、同意を求める顔をしてみたが、すぐに目を逸らされた。同卓者は全員敵だ。初めにでかい口を叩くのは僕のスタイル。もし負けたら、ごめんなさいで話は終わる。勝てば次も勝ちのイメージを作りやすくなる。こうして勝ちやすいキャラクターを作っていくのが得意な戦略だった。対局中、「僕だから」という理由で相手の打牌が変われば思う壺だ。
対局前から忙しいのは僕だけか。気付けば開帳の時間は五分過ぎた。

客引き

あと一人が来ない。松田さんが電話をかけると、四人目のお客さんは一時間程遅れるらしい。松田さんがすぐにもう一本電話をかける。
「どーも、すぐ来れる?」
返事は分からないが、近くにいる誰かが来そうな感じだった。
松田さんは、前回途中から卓に入り打っていたけど、雀荘でいうメンバーの立場では無いみたいだ。入るのは本当にどうしようもない時、朝方に誰かがパンクしたりすると入るのだろう。こちらも出来ればヤクザとは打ちたくない。

電話を切ってからすぐにチャイムが鳴った。一~二分くらいか、本当にすぐ来た。入ってきたのはスーツ姿で金髪の男。なんだか見覚えがある顔。
「いやー、日曜日は暇ですわー!」
この甲高い声、思い出した。駅からここに来るまでの途中、案内所に立っていたキャッチだ。「女」「薬」「博打」の裏には極道が必ずいると聞いた事があるが、どこかで何かが繋がっている。繁華街の夜の裏側を垣間見るようで面白い。
「今日はどんな子いるの」
江口さんが聞くと、金髪スーツはポケットから女の子の写真を取り出した。一枚一枚ラミネートされていて、裏面にはメモが書いてある。それを広げて女の子の説明が始まった。「体験入店」「十九歳」「腕自慢」等々、言えば何でも出てくる。それもそのはず、今この街で呼べる女の子は全て把握していた。その中から一枚を選び、この麻雀が終わるくらいの時間にとオーダーが入った。
「いつもありがとうございます」
なんてアホな会話だ。僕も会話に混ざりたい気持ちを抑えてこう言った。
「麻雀、打たないんですか?」
「・・ガキにはまだ早い話だったな」

そう言って、江口さんは緩んだ顔で場決めの牌を引いた。

開帳

席順は、反時計回りに僕、金髪のキャッチ、江口さん、ぴょん。江口さんとは対面同士で良かった。金髪のキャッチを入れて、卓はスタートした。僕は初めてだが、あまり麻雀は慣れていなさそうだ。山を前に出さなかったり、取り出しを間違えたりする度に、江口さんが吠える。
「そこじゃねーよ!!」
いつもこんなやり取りをしているのだろう。テンポを大事にしたい江口さんの気持ちは分かるし、こいつの下家はイライラしそうだ。でも、僕は余計な事を考えず、ぴょんを仕上げにかかる。卓に二人早い人がいれば、卓の回りは早くなる。早い人間が対面同士に座っていれば文句は無い。つられてあとの二人も早くなる。

昔はこれを意図的にやっていた事もあるが、無意識にやってくれる江口さんみたいな人がいると非常に助かる。そして上家に煽りたい相手がいると、やりやすい。効果のある上家の煽り方は、長年のメンバー経験で培っている。少しでも上家が止まれば先ヅモのモーションに入る。手を伸ばす前に、音が出る程度に、指で卓を叩く。いつもはやられる側だからよく分かるが、非常にうざい。

軽いジャブをぴょんに食らわせつつ、最初の一周の成績は2312と、いいスタートを切った。四回戦が終わり、場替え。僕は変わらず、ぴょんもまた上家に。江口さんとキャッチの席が入れ替わった。
五回戦目の東発、僕の親番中、六巡目にぴょんからツモ切りのリーチが入った。今までの感覚的に、これは愚形の安いリーチだと確信した。ドラの北は既に二枚切れており、僕は赤を四枚持っている。勝負手の時の強打も無ければ、発声も元気が無い。リーチ後オールマイティの白ポッチが入っているため、それが見えていなければ愚形でも曲げてくる事が多い。タンピンに三色まで見えるイーシャンテンなので、降りるつもりは無かった。一発目に抱えていた白ポッチを強打する。

セットのようなここの麻雀では、リーチ後に人の手牌を覗く事も許されていた。その強打を見て、ぴょんが僕の手牌を覗いてくる。親でデカい手のイーシャンテン、綺麗なその手牌を見てから目が合う。ニヤリとすると、リーチをかけた後悔が伝わってきた。二巡後に追いつき、追っかけリーチ。僕は手牌を覗かないし、覗く間でも無い。力なくツモ切ったぴょんの打牌は僕の当たり牌だった
「メンタンピン一発三色赤赤赤赤」
「・・・裏はサービス!たったの倍満五枚!」
ここの麻雀は0点丁度で飛びなので、東発終了。他の二人は原点を持っているので、南家の江口さんは同点の二着。払いになった金髪のキャッチが文句を垂らす。

さて、この放銃一回でぴょんのカゴからいくら出ていくのか計算してみよう。まずはチップが五枚と、飛び賞が五枚で一万円。ビンタが六千円×3で一万八千円。素点とウマで一万二千円。全部足すと、たった三分で四万円の支払い。後悔してもしきれない一局だろう。予定より早く仕上がった。ここでトドメを刺す一言。

「まあいいじゃないですか、人の金だし」

川嶋さん

随分と場にも慣れてきた。ここの麻雀は得意な発声優先。ここまで二回ぴょんと発声が被ったけど、どちらも卓内の判断を待つ間でもなく、僕は晒して打牌した。
チャイムが鳴った。遅刻している人かと思ったら、川嶋さんだった。この時点で十万円近く勝っていたので、良いタイミングで来てくれたと思った。ほんとにこの人が裏カジノの店長なのか、優しい面持ちでこの場にいるみんなに挨拶をし、最後に僕のところへ。
「こんばんは、調子はどうですか?」
「なんとか少し浮いています」
「そうですか、気楽にやってください」

あの目で僕のカゴを確認してからニッコリ言った。昨日の代打ちが負けたのを気にしているのか、お店が暇なのか。どちらにせよ現時点では安心してもらえた。

「なんだ、今日は暇なのか」
「ええ、日曜日は暇ですね」
「どっかの立ちんぼも同じ事言ってたな。ポンコツディーラーがいなければ絞りに行ってやってもいいんだけどな」
「今日は暇なので水山がキツいテーブルを作っています。麻雀にしておいた方が賢明かと。来週は負けサビを用意してお待ちしていますよ」
「おお、頼むよ来週の火曜日は暇だ」
「お待ちしております」

お客さんとお得意さんの関係だが、江口さんと川嶋さんは仲が良さそうだ。ポンコツディーラーの水山さんは無愛想なのでこういう関係にはならないだろう。
川嶋さんのコミュニケーションを見ていると、なぜ裏の世界にいるのかを疑いたくなるような営業力。水山さん曰く、奥さんも子供もいるらしい。もう世の中何を信用していいのか分からなくなりそうだ。

それから二人の会話は僕の話へ。
「坊主は勝てない勝負はしないんだとよ!昨日の奴とは違って心強いな!」
「昨日の子は考えものですね。やはり立候補は当てになりません」
「桂木君は、まだ会って日は浅いですが、水山が見込んでいるので信用してます。」
「江口さん相手に遠慮しないでいいからね」
「なんだ、遠慮はいらないですね。気使ってましたよ。」
「気使ってる打ち方じゃねーだろこのクソガキが!!」
口は悪いが、どこか憎めないし強いのが江口さん。もちろん遠慮なんてしていない。

「本日はカレーです、いかがでしょうか」
八回戦、二周が終わったところで食事の時間。
「大盛りで下さい!!」
川嶋さんも頼んでいたけど、ぴょんは食べないみたいだ。

遅刻した人来る

このマンションのチャイムは二種類ある。オートロックの前のエントランスと、玄関の前のどちらで押したかによって、チャイムの鳴る数が一回か二回か変わる。普段は二回鳴り、松田さんがエレベーターホールまで出て行くので、一回のチャイムは鳴らない。
カレーを食べていると、一回だけチャイムが鳴った。色々な可能性があるので、松田さんが監視カメラで外の様子を確認し、警戒しながら出て行く。出て行った松田さんが戻ってきて、後ろからついて来たのは、パーカーにニット帽を被った二十代後半の男だった。上の階の人がオートロックを開け、一緒に入ってきたらしい。

その人間と目が合った瞬間凍りついた。見た事のある顔、最悪だ。思い出せ、誰だコイツは。ホワイトボードには「土屋」と書いてあった。喋った記憶は無いが、どこかで同卓した事がある。そうだ、あれは渋谷のピン東風。定職に就いているようには見えず、打ち廻りや腕など、どれをとっても麻雀で凌いでいるといった印象だった。
正直、僕の素性を話さなければ誰でもいいと思っていたが、少し相手が悪い。ただでさえ江口さんという厄介な人が座っているというのに。フリーならば喜んで打ちたい痺れるメンツだが、今日はそれを望んでいない。
「すいません、パチンコが噴きました」
「おお、軍資金たっぷりだな」
こんな軽いノリもいつもの事なのだろう、江口さんとくだらないやり取りをしてからソファに座り、ポケットからスポーツ新聞を取り出した。博打の何でも屋さんだろう。卓はちょうど次回が場変えのタイミング。
「そろそろ仕事なので次代わりますよ」
トップ目の金髪キャッチが言った。体よく装ってはいるが、カゴを見る限り数万円浮いているのでとっとと逃げたかったのだろう。そのままトップを守り、キャッチは足早に去って行った。「楽しんで下さいね」と笑顔でそう残して、そのタイミングで川嶋さんもマンションを出た。
これから僕にとって地獄の時間が始まる。

地獄

川嶋さんはカレーを食べて、少し雑談してから帰った。僕のカゴの中はプラス八万円程。さっきまで僕が座っていた手応えのある席には土屋さんが座った。毎日麻雀をしていると、半端じゃなくバカづきする事がある。打っていてとても気持ちが良く、流れが良いの一言じゃ説明がつかないほど、強い時。前回、土屋さんと前にピン東風のフリー雀荘で同卓した時は、そんな時だった。

数ヶ月前の深夜三時、十二回連続で連帯を外さなかった僕の対面に座ったのが土屋さんだった。だけど、彼が麻雀を打ったのは二回戦のみ。僕が噴いているところを見るや否や、すぐに卓を抜けてソファで漫画を読み始めた。

そこの雀荘はガラが悪い。フリーの営業をしているが、経営者はヤクザ者。経営者がパクられて閉めていた時期もあった。それからは深夜に行く場合、店に電話をしないとシャッターが開かなくなった。なので朝までメンツが入れ替わる事は少ない。始発が出て、僕がラス半を入れると、ソファに座っていた彼がその席に座った。立ち回りを心得ていると思ったのと同時に、もう打ちたくないと思った。

そんな勝手な先入観を持ったまま、土屋さんが卓に入る。卓の回るスピードがグッと上がり、雰囲気が変わった。さっきまでふざけながら打っていた江口さんも表情が変わり、部屋の中には打牌の音だけが響く。
かけっこでは早い人と一緒に走ると、無意識に自分も早くなると言うが、麻雀も一緒だった。土屋さんは仕掛けが早く、応じるように僕と江口さんの仕掛けも早くなる。最初の半荘はぴょん以外の全員が面前で局を終える事はなく、トップは土屋さん、僕はラスだった。清算をしていると、間が悪くiPhoneが鳴る。

「どんな感じですか?」
とてもLINEをしながら麻雀を打っている場合じゃないので、既読を付けなかった。これが地獄の入り口、そこから四連ラスを引き、貯金をあっという間に溶かした。カゴを確認すると、五万円程のマイナスだった。
土屋さんはやはり強かった。原点に焦点を置いているため、ピン東風で打った祝儀麻雀とは明らかに打ち方が違っていた。目標が明確で手牌が短くなるため、赤六でも手牌や打点が透ける事は多かったけれど、僕の手牌が着いていかなかった。

場替えのタイミングでぴょんがトイレに行ったので、ソファに座りLINEを開く。今のメンツと収支を報告する。すぐに「了解」とだけ返ってきた。
レッドブルを頼み、リフレッシュを試みる。気を取り直さないといけない。ぴょんが戻り、再び打牌の音が響き始める。ぴょんの調子が上がり、デカいトップを二回とられた。翼が生えたのは僕の点棒だった。

「相変わらず崖っぷちに強いな!」
江口さんは同じような光景を、バカラでも見ているのだろう。一思いに死ねばいいものの、だらだら延命してしまうばかりに今の状況になっていると推測するのは容易い。いわばいいカモだ。
東ラスの親番、18000点ラス目の僕に手が入った。トップ目が30200点、僕の手はツモれば6000オールで全員の首を切れる。まずはダマで原点を超えるべきだが、これをツモれば大分楽になると、役有り三面張のリーチをかける。こういう時のリーチは嫌な予感しかしない。
二巡後、二着目で下家のぴょんが調子に乗って追っかけリーチをかけて来た。手牌を覗くとノミ手の間5ソウ待ち、僕に暗刻だ。しかし嫌な予感は的中する。トップ目の江口さんが一発消しのチーを入れると、白ポッチがぴょんに流れた。今回の清算で負け額は二十万まで増えた。

二瓶さんくる

またもチャイムが一回鳴った。玄関の前に誰かがいる。するとマンションの極道達が玄関に走った。
「おはようございます!!」
松田さん達の威勢の良い挨拶が玄関で聞こえたので、二瓶さんが来たとすぐに分かる。入るとまずは卓に来て挨拶をした。
「皆様いらっしゃいませ」
強面から発せられる丁寧な言葉には威圧感がすごい。  

「兄ちゃん、また来てくれてありがとな」
次に僕の方に挨拶に来た。にっこり笑いかけるが、とても怖い。そして江口さんのところへ。  

「江口さんいらっしゃい。例の件どうなってる?」
「これがお願いされていた見積もりです」
カバンからクリアファイルを取り出す。
「おお、悪いな。いつ頃工事に入れる?」
「来週だったらいつでも来れますよ、若い者は怖がっちゃうから私が来ます」
「よろしく頼むわ」
何の工事かは分からないが、江口さんは工務店の社長らしい。神棚や、任侠と書いてある額縁などを取り付けたのも江口さんだろうか。裏社会にお得意先がいるのもどうなのか。それがウリなのか、色々な商売があるものだと変な感心をした。  

「おう、今日も稼いでるか?」
次に土屋さんのところへ。やはりこのマンションで一番の勝ち頭はこの人だ。
「スロットで勝ったので今日は遊んでますよ」
ざっと見て早くも十万円以上勝っているだろう。絶妙な煽りも上手いなこいつ。ぴょんには声をかけず、カゴを覗いてからソファに腰掛けた。ちょうどぴょんが昇り調子なのもあり、前回ほど萎縮してなかった。  

さて、ぴょんの事を気にしている場合ではない。時間は深夜一時、今日は三十万勝たなくてはいけないのだ。現在二十二万負け。いつも始発が出る頃に帰るので、あと数時間しか無い。
「兄ちゃん、この前何してたんだぁ?」
僕の後ろに腰掛けた二瓶さんが話しかけてくる。以前、横断歩道で出くわした時の事だ。
「友達と飲んでました」
「あのへんで飲み屋なんてあったか?なんてとこ?」
「お店の名前まで覚えていませんけど、普通の居酒屋です」
そして少し沈黙してから、にっこり笑った。
「そうか、兄ちゃんお酒飲むのかぁ。今度飲みに行くか?」
いよいよ恐れていた一線を超えそうだ。
「機会があれば、川嶋さんや水山さんも一緒にお願いします」
「そーだな、楽しみにしてるよ」  

もう二度とここに来る事はないとその時に決めた。