第二章 手応え
外は寒い。年末に差し掛かる冬。僕はもうすぐ誕生日。二十三歳になる。
「チャーハンちょーだい!」
今勤務している「iPop」でチャーハンが注文された時は、僕の仕事。ラーメン屋で働いていた経験を活かし、炊いたお米にチャーハンの素を入れて炒める。出来上がったらお茶碗で丸い形を作り、インスタントのスープにレンゲを添えればそれっぽくなる。
あまり出るメニューではないけど、評判はいい。美味しいなんて言われると嬉しいけど、美味しいと言えば、この前食べた手作りハンバーグの味が忘れられなかった。
つい三日前のマンション麻雀の経験は、普段の仕事にも活きていた。東風戦の面前祝儀と、マンション麻雀にルールが似ている事もあり、仮想マンション麻雀として日々の本走に打ち込んでいた。
特に意識していたのはやはり原点。押し引きの基準を原点に集中していた。それを意識していると普段よりも成績が良くなり、三十六半荘ラス無しの記録も出来た。
二回目
僕は本走時の着順を全部着けていた。もちろんマンション麻雀でも。仕事が終わってからゲームシートを確認。日々、その月の給料、トップ率やラス率、平均着順を計算し、ノートに書き込む。それをモチベーションにしていた。普段の生活は店と家の往復。帰ってからは死んだように眠り、日が沈み始める頃に起きて店に向かう。負けた次の日は少し早めに店に行き、掃除をしていた。掃除をしっかりしないと、負けると思っている。どこの世界でも、仕事が出来る人間が金を稼ぐ。雀荘の仕事は、麻雀と接客と掃除。ならば掃除もしっかりしないと結果が出る訳がない。
その日は、早く出勤する日だった。昨日は我ながら酷い麻雀を打ったので、開店より一時間早く店に入り、反省の掃除機をかける。サイドテーブルや椅子をどけ、隅から隅まで掃除機をかける。お店の掃除機は、ティッシュがフィルター代わりに入っていて、毎回交換する仕様だった。ティッシュを交換する時に、てんこ盛りのゴミやホコリを見ると、負けた後の良い気分転換になる。
掃除機をかけ終わり、開店まであと二十分。朝ごはんで買ってきたパンを食べながらのんびり一服していると、水山さんから電話が入った。
——どんな感じですか?
——そんな感じです
この時点で次のお誘いだと思った。
——今週の日曜日行ける?
働いているお店が、日曜日はお休みなのでちょうどいい。
——行けます
——前と同じ十九時スタートだからよろしく
——もう二回目なんだから、直接一人で現地に行けよ
今日は水曜日。週六で働いている僕にとっては、まだ今週の仕事も折り返し地点。先月の本走は七百回を超えた。ここまで麻雀を打っていて、一日しか無い休みにまた麻雀の予定が入るのに喜んでる自分がいた。
電話を切ってからレジ金の確認をして開店の準備は完了。あとはお客さんを待つのみ。最初のお客さんは誰だろう。暇なので歯ブラシで牌を磨きながら、遠足前の子供みたいに麻雀が打ちたくてしょうがなくなっていた。週末までの麻雀は退屈しなさそうだ。
次のメンツはどんな人達なのだろう、江口さんとは当たりたくないな。次のご飯はなんだろう、ハンバーグ美味しかったな。何色のライターを持っていこうかな。そんな事を考えながら当日を迎えた。
余裕
余裕を持って、一時間前にはマンションの最寄り駅に到着。今日は水山さんがいないので、のんびり歩きながら向かった。開帳の四十分前、マンションに到着。入り組んだ場所にあるので、少し迷った。部屋番号を押し、呼出を押すと、無言で応答中に。
「桂木です」
自動ドアが開く。目的の階に着くと、松田さんがエレベーターの前で待っていた。見た感じは安くはなさそうなマンションだが、他の住人はどう思っているんだろうか。早いねーなんて言われながら中に入る。一番乗りだった。卓を見ると、サイドテーブルにおしぼりが置いてあり、牌はぐちゃぐちゃ。洗牌の途中だったみたいだ。
「洗牌してもいいですか?」
開帳の前にやれる事はやっておきたい。
いいよ、いいよと言われたけど、やらせて下さいとお願いする。約十二時間ぶりの洗牌だ。どこまで終わっているのかも分からないので、両面やった。洗牌は好きだし、得意な僕。
「はえーな!教えてくれよ!」
松田さんが後ろからえらく感心していた。
その会話の中で、雀荘で働いていたのかと聞かれたが、否定した。フリーターでぷらぷらしていますと濁しておいた。働いていると答えれば、場所がどこなのか聞かれるだろう。少しでも自分の素性は話したくない。
洗牌が終わり、牌を揃えて点棒を磨き、ふっかふかのソファでくつろいでいると、いい匂いがしてきた。今日はカレーのようだ。
「兄ちゃん味見してくれよ!」
スキンヘッドが対面キッチンから言う。小さな丸皿に少しだけ挽肉が入ったカレーを味見する。美味しい。ヤクザが運営しているマンション麻雀に、少しだけ垣間見えるアットホームな雰囲気はなんだか不思議で面白い。美味しいカレーを楽しめるよう、ご飯の時間には勝ち越しておきたいと思った。
煙草に火を点け、部屋を見渡していると、ホワイトボードが目に入った。月曜日から日曜日まで、一週間分のスケジュールだ。マグネットに名前のテプラが張ってあるものが並んでいる。この前は誰の名前も分からなかったので、あまり気に留めなかった。ホワイトボードをぼんやり眺める。知らない名前ばかりだが、ふと江口さんの名前を見つけた。日付を見ると今日の欄だ。そこには、桂木・佐藤・有川と並ぶ。桂木のマグネットを見て、この場の頭数に入っている事に、なんだかやらかした気分になった。仕事が早いヤクザだ。
「来週の木曜日とか来れないか?」
そんな僕の考えを見透かすように、松田さんに聞かれた。平日は仕事があるので無理だと断る。木曜日は二人空白になっていた。週に二回も来たくない。それ以上は絶対に断ると決めていた。
そんなこんなで開帳を待っていると、チャイムが鳴り、次に来たのは江口さんだった。ジャージにスウェットとラフな格好。入って来て早々に僕を煽る。
「おお、この前のお兄ちゃんじゃん。今日は師匠が見当たらないけど大丈夫か?」
「大丈夫です、どーせ人の金ですから」
だから僕の師匠は水山さんじゃない。噂をすれば。水山さんからLINEが入る。
——今日の面子がわかったら教えて下さい
——江口さん、佐藤さん、有川さんです
——了解です
それからすぐに、佐藤さんと有川さんが来た。二人とも初対面だった。
さてさて。
順調な出だし
今日気を付けるのは二点。「原点」と「席」
始めに座ったのは、南の席。出だしは好調だった。1311と四回を終え、七〜八万円くらい貯金を作った。
最初から軽い手ばかり入ったのが良かった。二回戦目には白ポッチもツモり、しっかりと配牌とツモをモノに出来た。場変えの時は、誰かが東南西北の牌を集め、ラスから引いていく。今日は毎回集める係をやろうと思っていた。まずは牌を集め、四つの牌が何処にあるか把握する。自分が一番最初に引かなければ運任せになるけど、これには少しコツがあった。みんな一番近くにある牌は自然と掴まない。一人引くたびに混ぜるフリをして、僕が座りたい南の牌をその人の近くに持っていく。二分の一の抽選も引き当てて、二回目もまんまと南の席に座れた。
同じ席には座れたものの、二週目は4224。二着は二回とも原点以上持っていたので、怪我は大きくはないけど少し勝ち分を減らした。この二回のラスは両方、江口さんとのリーチ合戦に負けたものだった。
今日初めて会った、佐藤さんと有川さんは静かな人だった。江口さんも煽る訳でもなく静かにやっている。このメンツ、前回と違って先ヅモが無いので非常にやりやすかった。三回目も東南西北を集め、ラスだったので真っ先に南を引いた。感触は悪くない。今日はこの席に根っ子を生やそうと思っていた。でも、ここでご飯タイム。
「本日はカレーです、いかがでしょうか」
勝っているし、楽しみにしていたカレーの時間だ。
「大盛りで下さい!!」
わかっていると、スキンヘッドが静かに頷く。味見の時よりも煮込んであって美味しい。具は茄子と牛挽肉。箸休めのらっきょうも絶品だ。
みんなで卓を止めて、カレーを食べているとチャイムが鳴り、来客があった。ぴょんだ。知っている顔でなんとなく安心しながら会釈をした。ぴょんはソファに座ってくつろいでいる。とりあえず麻雀は打たないらしい。食べ終わり、ご馳走様でしたとお皿を返しに行く。
「足りたか?」
「あと二杯食べられます!」
「よし、米炊いたる」
お世辞でもなんでもなく、もう一杯食べれるのが嬉しかった。
そして始まる三週目。ここで玄関の開く音。チャイムの音はしなかった。
若頭
ドアを開けて入ってきたのは、坊主で細い銀縁のメガネに金のネックレス。ガタイはこの中のヤクザでも一番良いし、でかい。
「お疲れ様です!!」
ヤクザ達が声を揃えて挨拶する。ここを開いているのは、某暴力団の三次団体。その若頭がやってきた。室内の雰囲気が一瞬でひりつく。あの江口さんも真面目に挨拶をしていた。
「おはようございます、いらっしゃいませ」
若頭は二瓶さんと言うらしい。ドスの効いた声で挨拶をする。やはりというか、ここらへんは律儀だ。
「兄ちゃんが川嶋の代打か、ちょっと稼いでやってくれよ」
なるべく優しい声、顔で言ってくれているのだろうが、怖い。愛想笑いでやり過ごす。ヤクザ三人が緊張しているのが顔を見なくても分かる。
挨拶をしてから二瓶さんはホワイトボードの前に立った。一番上の日曜日から順にメンツを確認していく。そして二人空白の木曜日まで目線が落ちたところで、松田さんが呼ばれた。威勢のいい返事をして、小走りで二瓶さんの元へ。隣に行った瞬間に、二瓶さんが松田さんを思いっきり蹴り飛ばした。松田さんも小柄な訳ではなく、この中では二番目に体が大きいけど、軽々吹っ飛んで壁に叩きつけられて大きい音がした。よく穴が空かないなとそちらが気になった。この時、ひらりとはだけたシャツの下には、冬なのに桜が舞っていた。
僕の席からはそれが全て見えた。麻雀どころじゃないなと思ったけど、そうも言ってられない。ふとソファのぴょんを見ると、顔が青ざめていた。
「木曜日はどうなってんだ?」
「今、三人に声をかけて返事待ちです」
松田さんがこう返すと、もう一度蹴り飛ばす。この時に二瓶さんと目が合った。
「兄ちゃん木曜日は忙しいのか?」
蛇に睨まれた蛙のように、小手返しをしていた手が止まる。
「すいません、仕事があります」
すると残念そうな顔をして、そうかぁと呟き、もう一度松田さんを蹴った。そしてカレーを食べ始める。ここで食事が出るのは、二瓶さんのこだわりなのではないかと、ふと思ったけど、根拠は無い。この人いつまでいるんだろう。
麻雀は三周目、成績は3231。このトップはマルエーだったので、少し浮いたがまだトータルで十万円には届かない程度。この辺りから佐藤さんと有川さんもよく喋るようになった。この光景を見ても平然としているのは麻雀に夢中だからか。
有川さんは平静を装ってはいるが、熱くなっているのがわかった。リーチの空振りが目立ち、仕掛けは少ない。面前派なのだろうか、他家が鳴くと少し嫌そうな顔をする。東風戦は打ち慣れていなさそうだった。今日は有川さんに仕上がってもらおう。そう思った三周目だった。
レートアップ
四周目に入る場変え、流石に南の席には座れなかった。そこには江口さんが。気に食わない反面、江口さんならそこの席を冷やすような打ち方はしないだろうと思い、少し安心(?)した。場変えから少し経つと、二瓶さんはぴょんと一緒に出て行った。待ち合わせだったのだろうか。ここの連中は裏カジノの客に廻銭を回したりもすると、水山さんに聞いたな。深くは考えないでおこう。
新しく座った席での成績は1244。また少し貯金を崩す。四回目にラスを食ったという事は、次に座る席は僕が選べる。迷わず南を引く。
四周目、有川さんが原点を保って終わった事は無かった。東発に、親の江口さんの地獄単騎の赤三ドラドラ裏裏の七対子に一発で振り込み、地獄に落ちた。見ている限りチップのおかわりを二回しているので、約三十万程負けているのだろうか。
「レートアップしませんか?」
このタイミングで有川さんが提案した。
江口さんは即答でオッケー。佐藤さんもオッケーらしく、僕にどうする?と聞いてきた。ここは四人の同意があれば、レートはいくらでも上がる。
「いいですよ、人の金だし」
経験上、レートアップを言い出した人間が勝っている所は見た事が無い。願ったり叶ったりだ。いくらにするかの話し合いには参加しなかった。僕はいくらでもいい。
「五百円くらいにする?」
江口さんが余裕の発言。リスクの無い僕は高ければ高いほど嬉しい。でも有川さんはこれに応じる事が出来ず。結果、レートは二百円のまま、ウマとビンタが五千円、一万円に上がった。マルエーを取れば約五万円ぐらいのトップになる。
レートが上がり有川さんも何か吹っ切れたのか、仕掛けは多くなり、降りる事が少なくなった。積極的な追っかけオープンなど、全く打ち方が変わったが、うまく噛み合い吹き上がった。なんと四回中三回トップ。非常に面倒くさいなこの人。これは言葉を交わさなくても、江口さんも同じ事を考えていたと思う。僕の成績はといえば、2423。今日は最初に作った勝ち分を守り抜く戦い。この時点で勝ち分は五万に満たない程。ラスを食えば、一度で吹き飛ぶ。
五周目が終わった。仕上がりかかっていた有川さんがレートアップで少し戻し始めた。
場変え。三着ならまた同じ席に座れると思ったが、最後にラスだった佐藤さんが最初に南を引いた。四分の一だけど、まさかここで南を引かれるとは思ってなかった。深夜二時過ぎ、集中力も切れてきた。
ここで、ぴょんが一人で帰ってきた。
休憩
僕には救世主に見えた。
「ちょうど始まり、打ちますか?」
まるで仕事中、本走続きで飯が食えず、腹が減っている時のように急いで案内する。ここで一息入れたかった。場変えは終わっているものの、ぴょんはそこに入った。さっきよりも顔は凛としていた。この短時間、カジノで勝ったのだろうか。先ほど少し見えた、詰まってる感は無くなっているように見受けられた。さっき二瓶さんが座っていたソファの位置に陣取り、ひとまず休憩。テレビも麻雀も見える良い位置。
今日は日本シリーズの最終戦があり、楽天が初優勝。深夜になってもその特集番組が続いていた。
「カレー食うか?」
そう言われるまですっかり忘れていた。
カレーを食べながら、繰り返されるマー君の勇姿。興味も無いのに詳しくなってしまいそう。
そういえば今日は水山さんからの連絡があれから無い。一応抜け番になった事、着順、収支を送っておいた。すると一分と経たずに、分かりましたと返信が来た。今日は水山さん抜きで勝ちたい。変に良い流れが揺れるのも嫌だから、来ないで欲しいと思っていた。川嶋さんもだ。
ラストの集金をし、ゲームシートを書き終えた松田さんが、スナック菓子と缶コーヒーを持って僕の隣に座った。いるか?と言われ、片手で一掴みもらった。
ここからは小さい声で僕に言う。
「二瓶さん怖かったか?」
「ええ、でも麻雀中なら水山さんの方が怖いです。」
大したもんだと笑った。先ほどの出来事のフォローのつもりか。実際は超怖い。
座っている場所は江口さんの手牌が見える位置だった。
「勉強させて下さい」
一応断ってから麻雀を見ていた。
「こっちが勉強してーよ!」
なんて言いながらも見やすく打ってくれているのが分かった。この人も悪い人じゃない。ただ、強いから麻雀はあまり打ちたくない。
隣の松田さんも一緒になって見ていた。ところどころ小声で、なんであれ切るんだ?なんて聞かれたりして、自分の思いつく限りで答えておいた。
「色々考えてんだなー」
この人達、麻雀は全然やった事が無いらしい。普段はフリーで打っていると言うと驚かれ、知らない人と打つって怖くないのかと聞かれた。本人は真顔だけど、こんな面白い冗談があるだろうか。
そんな感じだから、代走も頼みづらくこの休憩はとても嬉しかった。ここで佐藤さんに電話が入り、ラスト一周で帰る事になった。ちょうど二周分休憩も出来たし、万全の体制。この佐藤さん、今まで黙々と打っていたのに、終盤は口が軽かった。喋っていたのは自分の話。歯医者をやっていて、知り合いの医者がいるから紹介しますなどとペラペラ喋っていた。
聞いていてヒヤヒヤしたのは僕だけか。こういう場で自分の情報を話すのは利口とは言えない。今はニコニコしているが、手のひらを返せば何でもアリの連中だ。こういう警戒心の無い客がいるから裏カジノ、マンション麻雀が潤うのだろう。特に口出しする筋合いは無いけど、この人とは仲良くなりたくないと思った。
そして佐藤さんが打つ最後の一周は、ぴょんが吹き上がって終わった。凛とした顔をしていただけはある。ヘタクソな引きヅモで8000オールをツモっていたけど、この人には憎めない何かがある。
ラスト一周
満を持して出番が来た。時間は四時を過ぎた。
「ラスト二周でどう?」
江口さんが言う。
始発も出てちょうどいい時間。すぐに同意し、ぴょんを見るといいですよと言った。
案の定、有川さんは不服そうな顔をしていたけど、三人が帰ると言えば仕方がない。
レートアップ後に吹き上がった貯金はとっくに崩し、さっき打っていた時よりも仕上がっていた。見ていておかわりをまた二回していたので、五十万は財布から出ている。カゴは空に近い。
終わりが決まった所で場変え、運良く南の席に座れた。僕の浮き分は五万円程度。レートはアップしたままだけど、負ける気はしない。
最初の一周は3122。勝ちは十万に増えた。
ここで有川さんがギブアップ。財布には五十万しか入っていなかったようだ。悔しそうにしながらも、ここで借りを作らない所は偉い。ラスト一周、有川さんのパンクで終了かと思いきや、松田さんが入る事になった。それまで話をしている感じや、代走での素振りを見ていた感じでは、とてもこのレートで麻雀を打つ腕は無い。
座る前に、スキンヘッドが松田さんの背中を思いっ切り叩き、とても高い音がした。
——これが大事なんだよ
笑いながら松田さんが言った。こいつは厄介だ。こういう考え方の人間は、腕に関係無く強い。この時点で今日は守りに入っていた。今ある勝ち分は一周で簡単に吹き飛ぶ。僕も背中を叩いて欲しかった。松田さんは自分の金で打っているのか、本走用の廻銭があるのか。どうでもいいけど把握しておきたかった。
最後の一周。結果は勝ち越した。着順は2222。守りに入ったのが功を奏したか、もう少し攻めても良かったのか。首が切れたのは一回だけ。少し気を使っていた松田さんは二万円程勝ち越していた。慣れない手つきで点数計算も一切出来ないのによく勝った。この人を負けさせるのは、立場上など、色々と怖いので安心した。
今日の勝ち分は十六万八千円。報酬は三万二千円。川嶋さんの駒を増やし、しっかり報酬をもらう。仕事をした達成感があった。今回は水山さんは来ずに、終始一人で勝てたのも嬉しかった。
終わると江口さんは足早で帰り、ぴょんはまたソファに腰掛けていた。またカウンターでチップを換金し、報酬をもらう。今回は川嶋さんへの連絡はしていなかったけど、事前に取り決めがあったのだろう。
「この調子で負けをチャラにしてやってよ」
「今日はたまたまです」
勝って気分がいいのか、今までで一番陽気な声と顔だった。何を隠そう、僕も気分は良かった。
良い気分
外は眩しいけど、心地良かった。結果の報告をしたくて水山さんに電話したけど、出ない。まだ仕事中なのだろう。今日は一人でラーメンだ。カレーを食べた事なんてすっかり忘れていた。
ラーメン屋に入り、今日の反省。あの場のルール、雰囲気には大分慣れた。原点という基準が明確だから、変な放銃がなければ、熱くなる事もなかった。自分の金ではない事も要因かもしれない。守り過ぎかとも思ったけど、それくらいが丁度いいのだろう。結果も出た。初めての二人はいいお客さんだった。裏カジノとマンション麻雀できちんと囲っている。ぴょんに至っては飼い慣らされている。
代打ちならば金が減る心配は無い。今日の雰囲気ならレートはすぐに上がる。いい小遣い稼ぎの場を見つけたと思いながら、通勤で混み合う電車の逆に乗る。水山さんから、千点千円の場も立つと聞いていた。今は実績を残し、千円やそれ以上の場に代打ちで座れるようにするのが目標だった。これだけ神経をすり減らして三万円程度じゃ割に合わない。次はいつだろう。僕の都合次第でいつでも歓迎されそうだ。前回もそうだったけど、マンションを出た瞬間に疲れがどっと押し寄せて来る。
だけど、僕がそこに行くのは次で最後になる。